元号をいくつもまたいだ人間は経験豊かなはずであろうが、自分自身が昭和、平成、令和とまたぐとなると、自らの経験を次代に伝える中身も覚悟もないと感じ、せめて時代の境目を山で迎えることでけじめをつけよう、と平成最後の日に知床峠から羅臼岳を目指した。
私は平成と同時に斜里町に来たのだが、様々な分野の専門家や達人が身近にいるという環境に恵まれた。先輩諸氏は知床の自然に魅せられ、そして楽しんでいる。いつかは自分も、と思っていたが、縁あって平成十五年に山岳ガイドとなった。
この日は単独行。ルンゼの雪面は日差しと春風に緩みキックステップが決まる。雪洞を掘り山頂へ。陽の熱を失い冷たくなった岩に身を寄せて強い風を避ける。オホーツク海上空には雲が広がったが、太陽が傾き赤くなるにつれて雲にもその赤みが滲み拡がり、平成最後の陽が沈むとともに静かに灰色に戻っていった。振り返ると国後島は黒く横たわり、羅臼の市街には点々と灯が入っていく。雪洞に潜り込み、雪壁に立てたロウソクに火を灯す。平成から令和への儀式の様子をラジオで聞きながら眠りにつく。
日の出に合わせ山頂に向かう。腹這いにならないと風が体を岩から引き剥がす。ガスと風が渦巻いて令和の日の出は拝むことは叶わず下山開始。濃いガスで視界なし。斜面を駆け上がる向かい風に散弾のようにミゾレが命中して着衣の隙間から染み込んでくる。強風と視界不良で平衡感覚が怪しい。ピッケルで傾斜と雪面の起伏を探り、コンパスで方角を、歩数を数えて距離を見積もり進む。屏風岩まで降りて低体温症にならぬよう濡れた服を脱いで絞る。第二の壁からは雪崩を回避しながら下山。
自分にとって平成最後の夕陽を浴び雪洞で過ごしたのは禊ぎであり、令和最初の日は強風とガスで先が見通せない状況で積み上げてきた知識や技術を試験されたのだと思う。一年を経た令和2年5月。新型コロナウイルスにより時代そのものの先が見通せなくなっている。人と距離を置かねばならない生活や働き方の変化。登山も医療へ負荷をかけぬよう自粛。山のガイドも感染防止策を組み込まねばならない。令和を生きる自分がやるべきことはコロナ時代の山登りを創り伝えていくこととなったのだ。知床の自然にふさわしい楽しいものを創っていけたら、と思う。
慚愧に堪えぬことに、寄稿のお許しをくださった山崎猛氏にこの原稿を見ていただくことができなかった。アルプの世界を護り伝えた山崎氏のご冥福をお祈りいたします。
《山岳ガイド・知床山考舎 代表》
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