もくじ
緑風メニュー
<<No.18へ
No.20へ>>
 
緑風メニュー
  No.19  2011.6

●主な内容

  1. 「北のアルプ館」によせて(水越 武)
  2. 「アルプの輝き」(橋倉あや子)
  3. 「なにかの縁があるのだろうなぁ」(駒村吉重)
  4. 山崎 猛さんの夢「北のアルプ美術館」(熊谷 榧)
  5. 「串田孫一の仕事部屋」復元作業経過・その5
  6. 2011企画展 尾崎喜八「アルプ」原稿資料展
  7. 2011企画展 坂本直行 スケッチブック展
  8. 一年間の出来事 2010.7〜2011.6
  9. ご寄贈ありがとうございました
  10. おしらせ
  11. 編集後記

「北のアルプ館」によせて   (水越 武)

 より遠くへ、一歩でも高くへの私の夢は地平線へ向かう行動の旅となった。
それは高山だけではなく、赤道周辺にも何度も通い、極地から砂漠まで本当に多様な自然を目の当たりにするものとなった。まさに地球を実感することだった。

 そこで経験したことは、日本列島の動植物は多様な独特のもので、いかに我々が素晴らしい自然に包まれて日々を送っているかを自覚することであった。

 日本列島の森の中に踏み込み、静かに緑に身を染めていると、さまざまな音や香りが届いてくる。どこよりも野鳥のさえずりが豊かであることは、森を歩く習慣を持つ人間はよく知っている。この賑やかさは熱帯雨林に決して劣るものではない。

 風が林冠をなでるように渡って行くと複雑な響きが伝わって来る。これはいかに多様な種類の木々によって森が構成されているかを物語るものだ。初夏の森の香りについても同じことを言える。色と形の面から見ても、何と多様性に満ち、豊穣な世界であることか、嬉しくなる。

 日本の自然は繊細で美しいだけではない。それは地球規模から見てもかけがえのない貴重なもので、奇跡的な存在といえる。

 歳を重ねるごとにそんな自然に対し、誇りと感謝の気持ちが深まってくる。

 さて、「北のアルプ館」であるが、いつ訪ねても温もりのある至福の時を与えてくれる。ここは今日の社会情勢を考えると、北の地の奇跡と言える。

 地方の時代と言われながらも、なかなかすぐれた芸術と向き合う機会を得難いのが現状である。ここは期待以上の作品と出会わせてくれる。

 白樺に囲まれた小さな美術館の静かな空間にたたずむ時、いつも私はこのような捉え方をしている。

《写真家》


中屋雅義
「山の道具」絵葉書より

 

「アルプの輝き」  (橋 倉 あや子)

 1968年(昭和43年)私が初めて勤務したのは学術書の出版社・創文社でした。そこの編集部で本作りに携わりましたが、学生気質もぬけず、仕事のイロハも知らない二十代の私に周りの大人たち、特に編集長は手取り足取りさまざまなこと教えてくれました。

 その頃、一番思い入れふかく関わったのが山の雑誌「アルプ」の仕事でした。山のなかで出会ったお花畑のような小さな贅沢な雑誌でした。私は3年弱校正などに携わり(「アルプの号数でいうと 126号から158号までか)、その後、「本」の次に好きだった「映画」の仕事に入っていきました。時が過ぎ、人生の大恩人「アルプ」編集長の大洞さんも亡くなり、「アルプ」誌も終刊していました。

 60歳を過ぎ大病もして、自分の人生を振り返ることが時々あるようになり、私にとって3年という短い日々だったけど、その間に大洞編集長から教えてもらったことの一つひとつが宝物のようなことばかりだと気づきました。私のその後の人生に、その日々がずっと支えになってくれました。

 その「アルプ」に青春時代から魅せられ、知床斜里に「北のアルプ美術館」を作られた方がいると知り、いつか訪ねたいと願い、昨年やっとかなえることができました。斜里駅から少し離れた静かな界隈に白樺の木々に囲まれ、その素敵な美術館はありました。館長の山崎猛氏もスタッフの方々も温かく迎えてくださり、この方たちに囲まれ、「アルプ」は幸せだなとしみじみ思いました。帰京した私には、常連執筆者だった山口耀久先生に40年ぶりにお目にかかれるというプレゼントまでありました。山崎館長さん、ありがとうございました。

《旧姓・椛澤》

永野英昭・画

 

「なにかの縁があるのだろうなぁ」      駒村 吉重

 初めて斜里を訪れ、凍てついた浜からオホーツクの氷の原を見渡したのは、この冬のことです。眼前の海には、かすかに馴染みがありました。

 5年前のことです。わたしは、和歌山の太地船籍の小型捕鯨船に乗りこみ、 1 シーズンの漁を傍らで見つめていました(事情は拙著『煙る鯨影』をご参考に)。船員 7 人の小さな船が、ツチ鯨漁にのぞむため網走港に入ったのは8月の半ばです。網走港は、捕鯨船の共同経営者である「下道水産」の本拠地だったのです。

 9月の声を聞くまでの20日間、船は知床半島を旋回して、網走港と羅臼港の間を幾度も行き来し鯨影をもとめました。そのときにわたしは、海側からここ斜里の陸影を何度も見ていたはずなのです。

 オホーツクの海と知床の地とは、それっきりになっていました。

 が、まったく別のテーマに招かれ、再びわたしはここにやってくることになるのです。山の画文を残した辻まことという人のことを調べだしたあるとき、「北のアルプ美術館」のことを知りました。

 そこに、保存される辻まこと直筆の原稿は、彼の数奇な血脈と人生を描こうとするわたしにとって、一度見ておきたいものでした。

 雪の道を踏みしめて、斜里の海岸に向かったのは、白樺林のなかに佇む美術館を訪ねた帰り道でした。


駒村吉重・画

 海岸では寒風に身を切られて、しばし絵を描きました。わたしは、昼食をともにしながら山崎館長ご夫妻とのんびり語らったついさっきの場面を思い出しました。山崎館長が、至極控えめに「できたら、『緑風』になにか書いていただけませんか」と尋ねてこられました。言葉や物腰に、人柄がにじんでいました。それはわたしに、ひとからなにかを求められる、ということをかくも素敵に感じさせる温かい響きを持っていました。〈ここへはきっと、来るべくして来たんだな〉。そう思ったら、氷の海がなにやら懐しく感じられてきました。

《ノンフィクション作家》


 

山崎猛さんの夢「北のアルプ美術館」   (熊谷 榧)

 ずっと昔「北のアルプ美術館」が出来たばかりの頃、車で通りかかって入ったことがあるが、無料なのにびっくりしたものだ。

 1999年3月には山崎猛さんの肝入りで、斜里のギャラリーアドで私の個展を開いていただいた。女満別空港に山崎さんに迎えに来てもらい、美術館の構内にあるログハウスにただで泊り、個展のあい間には近くの流氷の海に出かけ写生したものだ。このあと札幌の金井孝次さん達と、 27年ぶりに雪の知床岳に登り、帰りに又あつかましく皆でログハウスを使わせてもらった。

 串田孫一さんとは、私の東京の個展の折にお目にかかり、「アルプ」に私のつたない文を時折のせていただいていた。白樺の木があるという東京の御自宅には伺ったことはないのだが、今度串田孫一の書斎が「北のアルプ美術館」に移築されるという。北海道は広いこともあるが、何よりも夢がある。

 そして身の回りしか見ない現実的な女の人と違って、男の人は夢想的でロマンチストである。いつか山崎さんのお嬢さん忍さんから、燈台の写真取材の旅先でお父さんが、彼女宛でなく亡くなったお母さん宛に手紙を送って来るときいて心打たれた。

 山崎さんの夢がいつまでも続きますように。

《画家・ 豊島区 立熊谷守一美術館館長》

 

「串田孫一の仕事部屋」  復元作業経過・その5

 ライラックの香りが優しく漂うなか、書斎と居間・展示室の外壁の塗装も終わり、『書斎』の内部の復元工事が進んでおります。床にフローリングも張り終え、 小金井市 の書斎の写真を基にして窓枠、梁等の作業も順調です。東日本大震災の影響らしく、資材の品不足と価格の高騰もありましたが、関係者の協力により乗り切っております。

 来年の6月中旬に美術館の20周年と串田先生の『書斎』と『居間』の同時公開に向けて全力で取り組んでおります。12月末までには、略仕上げたいと思っています。6月上旬から現在の美術館の建物全体に足場を組んで、20年の風雪に傷んだ外壁の板を張り替え塗装いたします。見苦しいですが、7月末までには化粧を終える予定です。昨年出来上がりました『居間』につきましては、多少の手直しをしながら完成度を高め、斜里の空気の中で熟成させたいと思っております。

 串田家のご家族の皆様、全国各地からの励ましと、心のこもったお便りに勇気をいただいております。感謝とお礼を申し上げます。

2011年 6 月 17 日 山崎 猛


「串田孫一の仕事部屋」復元・外観

2011企画展    2011年7月1日〜

尾崎 喜八〔おざき きはち〕1892〜1974
  「アルプ」原稿資料展

 尾崎喜八 生誕100年に開館した北のアルプ美術館。

「アルプ」には 1 号〜 196 号までの間に50以上の詩や文章などを執筆されており、その中から当館収蔵の尾崎喜八未公開の「アルプ」原稿、資料等を一堂に展示いたします。

*尾崎栄子・石黒敦彦 両氏の寄贈によるものです。

 

2011企画展    2011年7月1日〜

坂本 直行〔さかもと なおゆき〕1906〜1982
  スケッチブック展

 北海道釧路生まれ。北海道大学農学部卒。十勝の原野で開拓に身を投じ、以来30年に渡り開拓に苦闘する。酪農を営むかたわら、北海道の山岳風景や草花を描き続けた。北海道を代表する菓子メーカー「六花亭」は坂本直行による草花の絵をモチーフにした包装紙で有名。人々は親しみを込めて「ちょっこう」さんと呼びました。

*スケッチブック・資料等を展示いたします。

 

 

一年間の出来事 季節の便り 2010.7〜2011.6

2010年
9月 11 日 アルプの夕べ・水越武講演会−「穂高」から「ヒマラヤ」へ−


斜里町の市街地に現れたヒグマ
(北海道新聞)

9月 22 日 大雪山系で遅い初雪
10月 18 日 斜里商店街にヒグマ出没

2011年
3月 11 日 14時46分 東日本大震災発生
4月 29 日 知床横断道路開通
5月 12 日 アルプの桜開花
6月 7 日 アルプの林でエゾハルゼミが鳴く


            ヒトリシズカ

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

菊地和世・高橋 清・菊地慶一・小谷 明・笠島克彦・安田智哉・佐藤敏恵・田中清光・高橋哲雄・清水義夫・大森久雄・中村 誠・石田二三夫・高澤光雄・田中 良・清 雄策・大谷一良・中野靖浩・中原佳雄・萩生田浩・橋倉あや子・芳賀孝郎・斎藤浪子・塩谷真木子・浜田加寿子・新妻 徹・清水亨子・瀧本幸一・久保井浩俊・一原正明・内田康男・今村昌耕・片山弘明・高柳昌央・尾崎栄子・山室眞二・平出眞治・駒村吉重・関根正行・赤木秀樹・加藤建亜・阿部正恒・浜野泰一・市立小樽美術館・山と溪谷社・株虫R書房・東京新聞出版局・旧カ戯書房・葛ソ文社・椛n文社・ 斜里町 立知床博物館・ 網走市 立美術館・美幌博物館・北海道立オホーツク流氷科学センター・北海道立釧路芸術館・北海道立北方民族博物館・北見芸術文化ホール・北網圏北見文化センター・札幌芸術の森・神田日勝記念美術館
▲▲▲その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

アルプ基金−報告− 2010年6月1日〜2011年5月31日

345,657円となっております。
ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

■おしらせ

▲▲冬期間の閉館をお知らせします。2011年12月19日(月)〜2012年2月29日(水)まで閉館します。ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。

▲▲この度の東日本大震災において被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしています。

編集後記


2011.6.11 ナナカマド

編集後記  ▲3月11日、巨大地震が東日本を襲い、地震・津波という大自然の猛威に言葉を失いました。癒しや感動を与えてくれる優しい自然もあれば、今回の震災のように厳しく怖い自然もあります。どちらも本当の自然の姿…複雑な気持ちです。被災地の皆様に一日も早く平穏な日々が訪れる事を願いながら「緑風」をお届けします。(上美谷)

▲ 震災地では博物館の貴重な資料が流失し、その修復作業が全国の支援の下になされているとの事です。貴重な資料を守り、伝えていく事の責任をあらためて感じています。子ども達が安心して暮らせる大地が早くもどりますように。(大島)

  No.18 2011年6月発行(年1回)
 編 集:山崎 猛/大島千寿子/上美谷和代  題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 0152-23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

もくじ
緑風メニュー

<<No.18

No.20へ>>