緑風トップへ もくじへ戻る

       
北のアルプ美術館たより No.15  2007・6
     
   


串田さんのこと


辰濃 和男

 家が近かったせいか、串田さんのお宅には、ときどきお訪ねすることがあった。

 深く敬愛するもの書きの大先輩に会うたびに、私は静かでぜいたくな時間をいただいていた。あれが最後の訪問だったのかどうか記憶がはっきりしないのだが、両手に抱えきれないほどの菜の花の束をもって訪ねたことがある。

 私が借りているごく小さな畑に咲き乱れた菜の花だ。それを切り取る作業をしているとき、急に、この花をぜひお見せしたいと思った。当時、串田さんはもうあまり外出されることがないと聞き、ほんのちょっとでも春のはなやぎの色をたのしんでもらえればと思ったのだ。

 虫だらけ泥だらけのままの花束?で、あるいはご迷惑かなと思って玄関口に立った。でも、現れた串田さんは「うわぁー」という声をあげて喜んでくださった。
 
 なにしろ、書棚のどこかに青大将がいても、食卓のそばにヒキガエルがかしこまっていても、それをごく自然にたのしむという方だ。

 書斎の床の隙間から伸びてきたカラスウリの蔓を見ておおいに喜ばれた、という話も聞いている。串田さんは、ねっからの「自然人」なのだ。虫や泥のついた菜の花ごときに驚く人ではなかった。

 山歩きをたのしむのにも串田流の作法がある。近郊の山に分け入り、谷のほとりで木漏れ日を浴びて何時間も過ごす。一本の水楢を見ながら、三、四時間も座り込む。山奥の湿地で、蛍の乱舞に出あい、ついにそこで一夜を過ごしたという話も聞いた。沢の声、木の声、鳥や虫の声に身をとけこませるのが串田さんの流儀だった。

 『森の民』であった古代人がそうだったように、串田さんは野生の生き物とともに山の静謐にとけこむことのできる人だった。

「古代人は現代人よりはすぐれた思考をしていた」
 という串田さんの言葉が好きだ。
 文明人であるよりは、自然人であることを誇りにした方だった。

《日本エッセイストクラブ理事長・朝日新聞論説委員などを歴任、
著書に「天声人語」「文章の書き方」「四国遍路」など多数。》



       
賢者の窓  ――串田孫一先生の書斎移築に寄せて―― 根来 譲二
   
 
 東京での会議を終え、町田市にある故・畦地梅太郎画伯の〈あとりえ・う〉を訪ねて版画を買い求め、帰阪のため新幹線“のぞみ”の人となった。ビールとつまみで寛いでいると、車内の電光表示板に“哲学者で随想家の串田孫一さんの書斎が東京小金井市から、北海道斜里の「北のアルプ美術館」に移築へ”とのニュースが流れた。
 ちょうど先程、〈あとりえ・う〉で画伯の長女である美江子さんから「串田先生の蔵書が、“北のアルプ”へ行くんですって」とお聞きしたばかりであった。――蔵書だけでなく書斎ごと北のアルプ美術館へ行くのか――私は思わず心の中で「良かった、ほんとうに良かった!」と喝采を送り、持っていたビールで祝杯を挙げた。



 私の書斎には串田先生の筆になるご自身の詩「落葉松の林」が掛かっている。我が家を新築した時に先生から贈って頂いたものである。若い頃から先生の著書の愛読者で、当時すでに200冊以上の御著書を所有していることをご存知であった先生が、新築のお祝いにとお送りくださった。先生とは何回かのお電話やお手紙でのやり取りだけで、ついにお宅にお伺いすることはなかった。しかしながら先生の随想にしばしば登場する、ご自宅の周りの大きな欅の木々や雑木林が、年々姿を消して住宅化され、昔日の面影が無くなっていることは知っていた。
 なんとか串田先生の思索や随想の場が、それにふさわしい環境や状態で後世にまで生きつづけてほしい。そう願っていたのは決して私だけでは無かった。



 北海道斜里に「北のアルプ美術館」があることは先生からもお聞きしていた。念願かなって初めて家族で訪れたのが4年前。そして2年前は串田先生がお亡くなりになった6日後、知床が世界遺産に決定したその日に再訪した。さらに今年の1月、猛烈な吹雪の日に三たび「北のアルプ美術館」を訪れた。

 「北のアルプ美術館」は、串田先生が寄せられた“北海道の斜里の、この美術館のあるところから、病める地球が見事に癒されて行く爽やかな緑が、先ず人の心に蘇り、ひろがって行くことを願っている。”という言葉に応えるべく、『アルプ』が語り残したものを、次の世にまでも伝えてゆくことを願って、『アルプ』のファンのみならず広く門戸を開いている、大きな志をもった小さくて瀟洒な美術館である。



 『アルプ』は確かにわれらの青春であった。そこには今を生きるわれわれ日本人が無くしてしまったもの、身のまわりから消えていってしまったもの、そういった「豊かな時間やもの」が確かに存在している。そして何より「豊かな人々の心」が息づいている。

 環境破壊や人心の荒廃が進む現在、『アルプが』果たした役割はいよいよ大きなものとなっている。そういった意味で、知床の自然が世界遺産に登録されたように「北のアルプ美術館」は、単なる懐古ではない日本人の心の遺産として、さらに未来への道しるべとして存在し続けるに違いない。



串田先生の書斎は「北のアルプ美術館」開館20周年にあたる2012年6月に「串田孫一の仕事部屋」として公開される予定とお聞きしている。武蔵野の雑木林から、北のオホーツクの海にほど近い白樺林の中に先生の思索と随想の世界が移され、清冽な息吹となって生きつづける――。

 2012年6月。私は心の回帰するトポス、「北のアルプ美術館」の串田先生の仕事部屋の前に立っている自分の姿を心に思い浮かべている。そこで「かくれて生きる」賢者との静かで豊かな対話を楽しんでいる姿を・・・・・。

   

《技術士〈都市計画・都市環境〉短歌誌『ヤママユ』同人》



 ―尾崎栄子さん来館―

    
      2007年6月8日〜10日

 開館15周年を迎え、新緑が美しく、ライラックの咲いた北のアルプ美術館に尾崎栄子さんと親しい方々(10名)が訪れてくださいました。憧れの訪問と聞かされ、15年という大きな節目を刻むことが出来たことに喜びを感じております。

 ―大丸廣吉(俳号月朗) 歌碑建立―

 1950年日本鉱業を定年後、新ウトロ鉱山再興を期しウトロに移住。ウトロ館主初代山岳会長等、地域に貢献。特に1962年知床観光船を就航させ、秘境知床観光事業と文化の礎を築いた。歌碑は1971年自宅の庭に建立されたが2007年北のアルプ美術館の白樺林に移設されることになる。詳しくは次号で・・・


 ―串田孫一の仕事部屋―  復元作業経過

 昨年、小金井市の自宅から12月と今年3月、2回に分けて運ばれた資料は只今、収蔵目録製作のため、分類入力作業が5月から始まりました。入力完了までには2年程かかります。今年は復元予定の建物からの引越しをして明年からは計画図に基き本格的に作業が開始されます。書斎、居間、展示室、資料室、企画室など5室に「串田孫一の世界」(小宇宙)の再現に取組みますのでご協力、ご支援をお願い申し上げます。




    
山崎さんとの出会いなど 旭川市 河村 勁
   

 「北のアルプ美術館」の開館15周年は、私にとっても格別、感慨深いものがあります。北見に転勤して間もない時期、紙上で目にした「アルプ」の文字に遠い記憶が蘇生する期待感を覚え、早速訪ねたのでした。

 美術館は、はたして期待にたがわず瀟洒な木造の洋館。おずおずと二階の展示室に足を踏み入れた途端、一瞬、タイムスリップに陥ったような感覚にとらわれました。
 高校時代、ひとり近くの山々を彷徨していたころ、「アルプ」はいつも傍らにありました。当時、「アルプ」は、素人目にもあらゆる商業誌から抜きん出た、格調高い類まれな山岳文芸誌でした。いつかは、「アルプ」に見るようなエスプリのきいた散文や自在なスケッチを創作できたら、という憧れを強く抱いたものでした。

 整然と展示された、膨大な直筆原稿や原画をはじめアルプ関係資料の数々を眼の前にして、私は、いつしか競争社会の灰汁にまみれていた己の心根を、突如として暴かれたような気がして、一瞬うろたえ、やがてこみ上げてくる熱いものを全身に感じました。

 なぜ、ここに「アルプ」が、どんな人がどんな想いでこれだけのものを集め得たのか。全室一覧の後も想いが駆け巡り、とうとう館長さんに面会を求めたのでした。
 山崎さんは、初対面にもかかわらず私たち二人を書斎に招き入れ、いちいち私の話に頷いた後、自らの歩みを淡々と語ってくださいました。氏にとっての「アルプ」は、私など及ぶべくもない重さと深さで、自らの人生に深く浸透したものと理解できました。その凛とした「生き方」の集成がいまここにあると。


 その後、私は半年ほど入院し、療養を強いられることになりました。ある日、若い人が「自分の宝物ですが・・・」といって、あの『山のABC』を携え、見舞いに来てくれました。先鋭的なアルピニストに見えた彼にも、「アルプ」の心が宿っていることに不思議な縁を感じ、また、日ごろの彼の感性などに思い当たることが多く、一層、親しみを持ちました。
 かけがえのない「アルプ」の心が、山崎さんをとおして、自然な形で人から人へ流れ、豊かに伝わっているということが何ともうれしく、私にとっても「生きる」励みになることでした。

   元道立旭川東高等学校校長
   現旭川市科学館・嘱託 
                             「斜里岳」 河村 勁画


   
緑風によせて 小森 美香

 網走に来て約3年、このほとんどは知床、斜里との時間だ。

 網走支局に赴任した2004年9月、知床の世界自然遺産登録をめぐる問題はまさに佳境。翌年7月の登録決定まで、幾度と無く、町役場をはじめ、漁業関係者や観光関係者、自然保護に携わる人々のもとに通ったことを、今も昨日のことのように思い出す。

 実際のところ、知床、このオホーツク地域で生活するまで、自然について深く考えてはいなかった。論理では分かっていても、自然と自らの生活のつながりを感じられてはいなかった。だからこの地で、「自然があるから人が生かされている」と、海に、山に、街に暮らす人に出会い、目を見開かされた。

 山崎館長との出会いは、赴任してまだ数日のころ。ギャラリーアドで開かれた絵画展を記念し、町に絵を贈るという取材が最初だった。その後、何度もお会いし話をした。

 知床は、たくさんの人たちがそれぞれの立場で、場面で、多くの思いを寄せている地。そんな知床を、さりげなく、でもしっかりと見守る北のアルプ美術館と、山崎館長の凛とした目差しは、この地を豊かにしている要素のひとつだと感じている。

 アドは昨年秋、惜しまれながら25年の歴史に幕を閉じた。一方、美術館では開館20周年に向け、故串田孫一さんの書斎の復元計画が進んでいる。書籍をはじめ家具なども持ち込んでの復元。串田さんの空気が、このまちに、自然に、どんな新風をもたらすのか、5年後のオープンが待ち遠しい。

 実は恥ずかしい限りだが、今回の取材を通じて、初めて串田さんの人物像を知り、その理念に触れた。
 決して、叶うことはないけれど、「とても会ってみたい」と思える人に、出会えたことをうれしく思っている。
 北海道新聞網走支局



▲一年間の出来事
   季節の便り2006.6〜2007.6

2006年
 8月23日 白柳 淳氏による ギター・ ミニコンサート (美術館にて)
10月26日 斜里岳初冠雪 
11月26日〜30日  故串田孫一宅へ資料の搬出作業(東京)
12月 3日 故串田孫一氏の書斎復元資料が斜里に到着

2007年
 3月 5日 故串田孫一氏の書斎復元資料、第2弾到着
 4月16日 クロッカスが咲く
 5月10日 知床横断道路開通
 6月 7日 エゾハルゼミの鳴き声を聞く
 6月 9日 宮村将広氏による オカリナ・ミニコンサート(美術館にて)

  




▲ アルプ関係図書案内

 「アルプ 特集 串田孫一 」   山と渓谷社刊 2007月上旬発売
    
  アルプが300号で終刊してから25年の歳月が過ぎた今、「アルプ」が0号として一度だけ蘇ることになった。

本文・352項、糸綴り上製本、口絵・串田孫一絵(カラー四丁)
モノクローム写真17項、印刷・(株)精興社、製本・(株)三水舎
                     
  予価  3,200円

▲ 図書の案内

 「大地の遺産」―― 知床からのメッセージ ――

 知床の世界自然遺産登録の立役者であり、斜里町長を20年務めた午来昌が語る知床で生まれ育った70年間の自伝

                 響文社発行   1,800円

■ ここにご紹介させていただきました書籍のほか、北のアルプ美術館では関連する書籍の在庫がございます。ご希望の方はお問い合わせください。


▲ 特別企画展 2008年6月〜2009年5月まで(予定)

 ――故角田 勤さんアルプ作品コレクション展――

角田 勤プロフィール
日本医科大学卒業、群馬県沼田市にて小児科内科医として角田医院を継承。
沼田群響を応援する会、沼田第九を歌う会、沼田ドイツ語会、ゾンネの会など数多く音楽を通して地域の文化振興に大きな功績を残された。その熱い思いを貫きながら夢半ば、2003年5月16日、73歳で他界された。「アルプ」を読み、尾崎喜八の詩文に魅せられ、串田孫一、辻 まこと、高田博厚、上田哲農、藤江幾太郎、その他アルプ作家の作品を数多く収集された。

■ 2007年2月北のアルプ美術館に寄贈された全作品の展示をします。

尾崎喜八(高原の復活祭)

串田孫一(愛鷹山)

辻 まこと(森の中で)



▲ ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

串田美枝子・串田光弘・山室眞二・大谷一良・田中清光・鈴木 清・関根正行・有賀律子・畦地美江子・大洞正量・安藤秀幸・三宅 修・阿部正恒・一原正明・山下 正・平山英三・小野木三郎・白柳 淳・市川久枝・角田静恵・佐谷和彦・池内 紀・小川隆史・木原啓吉・谷川俊太郎・国松俊英・深水享子・尾崎栄子・石黒敦彦・川元 斉・野村勝生・池田 宏
斜里町立知床博物館・白山書房・山と渓谷社・東京新聞出版局・創文社・ルック・北海道立北方民族博物館

▲▲▲その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。


 アルプ基金 -報告-   2006年6月14日〜2007年5月31日

         573,053円となっております。ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

  
  おしらせ

▲▲冬期間の閉館をお知らせします。 2007年12月17日(月)〜2008年2月29日(金)まで閉館致します。ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。
 どうぞよろしくお願いいたします。

▲▲皆様にご好評をいただいております、北のアルプ美術館販売の絵ハガキは、一部種類で旧郵便番号(5桁)の印刷となっておりました。印刷し直しも検討いたしましたが、現在、7桁のシールを一枚一間に貼って対応させていただいております。どうぞご了承ください。

   

  編集後記 

▲6月9日尾崎喜八「アルプ原稿」が遺族の方々から寄贈されました。心から感謝申し上げます。次の世に語り伝えられる貴重な作品です。昨年の知床を振り返ると、油まみれになって死んだ海鳥6000羽、そしてサンマが海岸に生きたまま打上げられ今年1月上旬の嵐にはマコイの海岸にクジラが2頭岸辺に、海はこれでいいのか?次の世に不安を抱いているのも確かである。(山崎)

▲過去の「緑風」に心躍らせ、気づいたことがありました。それは、天候であり、今年は、今年は、と云いつつも同じように巡って来たことでした。只今、深緑の中にいます。一年を振り返った時、一番の大きな出来事、それは故串田孫一さんのお宅に伺ったことです。そして串田孫一さんに触れたこと・・・。お家、あの部屋、ご家族、すべてがひとつになって風のように、私の心の中を駆け巡っているのです。  (長谷川)
  
緑風-北のアルプ美術館たより No.15   2007年6月発行(年1回)

編集:山崎猛/長谷川美知子/大島千寿子       発行:北のアルプ美術館
印刷:(有)斜里印刷       デザイン・イラスト:桜井あけみ(アトリエ・ぽらりす)
〒099-4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11-2  TEL.0152-23-4000/FAX23-4007
http://www.alp-museum.org    メールアドレス:mail@alp-museum.org

  

ページトップへ戻る 緑風トップへ戻る もくじへ戻る