初めてお会いしたのがいつ頃であったか、勤めておられた商社を退職されたあと、関連会社の役員をされていた、日本橋にあったその会社のビルの一室をお訪ねしたのが最初だったような記憶がある。おそらく三宅修さんの本を作るに際して、カバー用の装画をお願いにあがったのだと思う。依頼した装画の受け取りは八王子のご自宅で、用件も済まないうちにワイングラスが用意されて恐縮した。三宅さんの本は1991年8月に発行しているので、ちょうど緑風渡る時期のやりとりだったはずだ。
以来、個展が開かれるたびにご案内いただいて伺ったり、串田孫一さんの本の装画もお願いしたり、お会いする機会があるごとに、展示会場付近やご自宅あるいはご自宅周辺の大谷さん好みの店で一杯ごちそうになるのが常のようになっていた。そうしたなかで、大谷さんご自身の本もという私の求めに応じていただいて出来上がったのが『心象の山々』(2000年12月)という画文集だった。同じ印刷という手段ながら、版画は少部数の多色手刷り、本となれば機械による4色刷り多部数という似て非なるもので、刷り色を吟味し手刷りの擦れ具合まで作品の一部であるものを、均一画一的なものにしてしまうことへの懸念が大谷さんにはあったはずだが、色校正をご一緒に進めながら、「カラー刷りがたくさん入った私にとって初めての大部数の本」と笑っておられたのを思い出す。 大谷さんの作品が生まれる一部始終を写真でまとめて何らかの形にしたいと、いつの頃からかお願いしていた。ちょうど版木を彫るからいらっしゃいと連絡をいただいて、最初の撮影にうかがったのは4年前の暮れのことだった。そのあとのインクの調製や実際の刷りに至るまで撮影を続ける予定だったが、残念ながら機会は失われてしまった。
2003年6月、北のアルプ美術館で開かれた「大谷一良の仕事」展のオープニングにご一緒した。その折り、4穴の小さなオカリナでつたない演奏を披露したが、大谷さんにはいたく気に入っていただけたようで、幾度かアコーディオン演奏した個展のオープニングでも、あのオカリナをと所望されたりした。大谷さんは旅立たれて、そのオカリナもいつの間にかどこやらで紛失したままだ。どちらも寂しいことである。あらためてご冥福をお祈りいたします。
(大谷一良氏は2014年9月21日に逝去されました)
《編集者》
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