北のアルプ美術館創設二十年、それに続く串田孫一書斎復元の大業成就おめでとうございます。
少年の正義少年の純潔少年の感傷ことごとく存しがたし もし一個の成人にしてそれを存してゐる者があるとすればそれはゐじんとするに足る――二十年まえ、アルプ美術館の開館式に臨んだときの私の胸中に真っ先に浮かんだのが容堂・山内豊信のこの言葉でした。
山崎猛氏は若き日『アルプ』誌に出会い、「自然と芸術を通して人間性を高めよう」とアルプ精神に惹かれました。憧憬・理想、青白い感傷は成人するにつれて氏の灼熱の信条となって生そのものとなりました。
春が近づくと、イタドリが乾いて軽やかな音に変わり、春を連れてくるようにも感じて心が浮き立った――イタドリの冬囲いに吹き寄せる風音を何と美しく見・聴いた少年か。数十年後、氏は、「風と波がゴーゴーと大きな音をたてる吹雪の日、ふっと音が消える瞬間があります。それが(流氷)到来の合図」と、おとなになってもその詩心はすこしも渝ることありませんでした。いや、美事に大成・開花しました。
美術館・書斎は串田孫一に傾倒、心酔した氏の詩心の顕現にほかなりません。
今も美術館のそばでそっと見守ってくれているような気がする――こう云う山崎氏の 懐 ( おも ) いはまっすぐ、串田先生に届いています。先生と山崎氏との間には魂の交感があるからそう云いきれるのです。亡き人は思われることでその人の魂は光り輝き、生きつづけて、思う人を見・守るのです。
時流に 阿 (おもね) ず、わがこころざし一途に貫いてきた毅然の山崎氏を真似たい・学びたいとおもうばかりで二十年が経ってしまいました。
山崎氏の夢の実現に、ささやかな一文が寄せられる幸いを感謝します。
《作家・現在月刊総合誌『公評』に小説「冬の花」を連載中》
大きく育った美術館の白樺の木
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