もくじ
緑風メニュー
<<No.17へ
No.19へ>>
 
緑風メニュー
  No.18  2010.6

●主な内容

  1. 斜里 一九六七年八月(岡部牧夫)
  2. 二つの想い(竹久野生)
  3. 命の火ちろちろ(菊地慶一)
  4. 意識の交信(栂嶺レイ)
  5. 尾崎栄子さん来館 2009年7月4日〜5日
  6. 雑誌「サライ」2010年6月号に紹介
  7. 「串田孫一の仕事部屋」復元作業経過・その4
  8. 特別企画展 水越武・写真展「光と影」
  9. 2010企画展「山の詩人たち」展
  10. 一年間の出来事 2009.7〜2010.6
  11. ご寄贈ありがとうございました
  12. おしらせ
  13. 編集後記

斜里 一九六七年八月   (岡部 牧夫)

 茫茫四十七年まえ、『アルプ』の編集を手つだっていた私は、はじめて斜里を訪れた。気軽な非常勤の学校教員の夏休み、妻と道東のあちこちを歩く旅に出た途次である。斜里の山崎猛という読者はしばしば『アルプ』に写真を投稿してきて、すでに一、二度口絵をかざっている。ぜひ寄って会いたいものと思った。つまり私は、『アルプ』の編集委員のなかでは最初に山崎さんと知りあったことになる。

 連絡しておいたので、二十四日の昼さがりに斜里に着くとすぐ山崎さんが迎えにきてくれた。コピーセンターという小さな文房具屋が住まいもかねていて、客を泊めるには手ぜまである。かわりにテントだの寝袋だのを貸してくれ、私たちは近くの浜辺の窪地に寝起きすることになった。思いがけぬテントの一夜。学生時代に返ったようで、すっかり嬉しくなった。

 その晩は焚き火でツブやトウモロコシを焼き、波の音を伴奏にたくさん食べた。簡素で素朴な味はいつまでも忘れないことだろう。

 あまり気分がよかったので、もうひと晩テントを借りることにして、翌日は西方の小清水原生花園を見にいった。でも釧網線の駅からはよほど離れないとどこも観光客がいっぱいで落ち着かない。そこで砂丘の物陰、朽ちた漁船の裏にかくれるように、あたりの植生を観察した。このへんでは、海浜草原がとくによく発達しているが、いまは時期がややおそいので、花期の長いハマナスやエゾスカシユリはともかく、エゾキスゲをはじめ草原を代表するおおくの花はほとんど終わっている。秋を感じさせて、どことなく寂しい眺めである。

 午後はそこからやや東のニクル沼 (とう) から海岸の砂丘にそって歩いた。国道から入るとすぐ小さなニクル沼の岸に出る。涼しげな木立にかこまれて農家があり、緬羊が草をはんでいる。海岸の細道を行くほどに心細くかすかになるが、やがて右手にすこし大きな 涛釣沼 (とうつるつう) がちらちら見えてきた。アシ原、楊の並木、牛が十頭ほど。牧歌的を絵にかいたようである。なおも途切れがちな道をゆくと宇蓮別川の放水路にぶつかり、それにそって南東に下ると、二キロあまりで国道に出た。

 斜里にもどると、今夜はジンギスカンだといって、山崎さんが万端ととのえて待っていた。羊肉と野菜がたっぷり。ふたたび星空のもと、夜ふけまであれこれ語りあったのはいうまでもない。

《著述業・元「アルプ」編集委員》

二つの想い  (竹久 野生)

 ラウスとワイナピチュ、どちらも力ずくで征服された民族の言葉を語源にもつ山の名前だ。ラウスはアイヌのそしてワイナピチュはインカの人たちによって名付けられた。2009年6月、北のアルプ美術館での個展の準備で斜里を訪れた後ボゴタに舞い戻った私はラウスとワイナピチュに想いを重ねた絵を描きたくなり着手した。

 ワイナピチュはインカの遺跡マチュピチュの背後にある切り立った峰。子供の時から神秘に包まれた特別の場所として憧れていたこの地を2度も訪れたのにワイナピチュには登れなかった。一度目はハイヒールだったので途中で滑り落ちる恐れがあるという理由で、二度目は山靴で行ったのに帰りの汽車に間に合わなくなるという理由で。二度目は10分ほどだけ登り引き返す時、眼に入った大きな笹の葉を一枚お土産にした。

 それから数年後ボゴタの我が家に北見の画家富沢裕子さんと相棒の三太郎さんが訪れ、彼らが放浪していたペルーやエクアドルのアンデスでの生活の話をしてくれた。その裕子さんの紹介で北のアルプ美術館を知りそこでの個展が昨年成立した。美術館から知床半島を望むと遠くにラウス岳の美しい姿が見えた。ある日、裕子さんに誘われてラウスの麓の山小屋に泊まった。翌朝登山口から少しだけ登りまたもや時間切れで下山。想い出にこっそり小さな野草の葉をポケットに忍ばせた。そこには行けなかった為一層神秘のベールが厚くなったワイナピチュとラウス岳。アンデスや知床の連山の姿や自然の中の岩や崖の雰囲気を和紙の画面の中につくりそこに想い出の笹の葉と野草の葉を刷りいれた。こんな描き方を私は「化石化」と名付けている。時空を超えて二つの場所の二つの生命の証を一つの画面で合体させながら自分の想いをも刷りこむこと。単なる自己満足かもしれない。でも二点出来たそれらの作品に心を寄せてくれた人が何人かいたので私はとてもうれしかった。

《画家》

竹久野生の絵より
「重なる想い:ラウス岳とワイナピチュ岳」


アルプの夕べ「竹久野生お話しの会」
しれとこくらぶ  2009 . 9.19

命の火ちろちろ      菊地 慶一

 さい涯の番屋に 命の火ちろちろ

 トドの鳴く夜は いとし娘が瞼に

 誰に語らん このさみしさ

 ランプの灯影に 海鳴りばかり

 「オホーツクの舟歌」というテープを知人が送ってくれた。これはその一節である。五十年も昔に作られた映画「地の涯に生きるもの」の長期ロケが終わったとき、森繁久弥が即興の歌詞と曲で歌ったものだという。これが後に「知床旅情」として加藤登紀子によって世に 膾炙(かいしゃ) されたことは、よく知られている。

 戸川幸夫が映画の原作「オホーツク老人」を書いたのは、一九六〇年(昭35)以前だから、ずいぶん早くに知床半島を調査取材していたことに驚嘆する。

戸川幸夫さんにお会いしたとき、当時の苦労を問うと「先駆者の努力は忘れられて行くものですね」と、つぶやかれたことが忘れられない。

 私が知床を知るようになったのは、初めて羅臼岳に登った一九六〇年ころが始まりだった。その後網走に住まいし、知床半島のオホーツク老人(番屋守)を訪ねるようになったのは、一九七〇年(昭45)前後だから、映画が作られてから十年も後になる。

 すでにオホーツク老人は消えて行こうとしていた。番屋守は高齢化し、漁業の形態が変化しはじめて、かつての番屋守たちはウトロ市街にひっそり暮らしたり、 網走市 で余生を送っている状況だった。網走湖を望む養護施設で出会った老人は、「あれはわしの話さ。わしがモデルなんだ」と言った。小柄だったが、「地の涯に生きるもの」の主人公彦市老人を彷彿させる雰囲気があった。モデルの真偽はともかく、まだ番屋守経験者が生きている時代だった。

 知床半島を一望にする海に面した高台に暮らす私は、とうにオホーツク老人を超える年齢になっている。そのせいか、「さい涯の番屋に命の火ちろちろ」という詞がしみじみと胸にしみる。

 番屋でのひとり越冬のさみしさを問うと、ある老人は「何もさみしくないさ。流氷が押し寄せる音のする晩は、酒を一杯多く飲んで寝るのさ」と語っていた。「誰に語らんこのさみしさ」は、私が想像するより深いものがあったのだ。

 そんな古い時代の知床の思い出を反芻する日々である。進歩と変化は止む得ないとしても、世界遺産後の知床は、前のめりになって急いでいるように見える。何百年という時間の中で、知床は人間も動物も自然も、命の火をちろちろと燃やし続けて来たのではないか。観光などという短いスパンで考える大地ではない。ゆったりとした時間の中で、変貌していく知床の未来を考えていきたい。

《文筆家・「流氷の見える丘から」著者》


意識の交信    (栂嶺 レイ)

 京都貴船の誰もいない森の中で、まるで東京の地下鉄のラッシュに揉まれたように、気持ち悪くなってしまったことがある。森はすがすがしく静まり返り、人っこ一人見えないというのに、人いきれにあおられたように感じたのは、目に飛び込むものすべてが人の気配を帯びていたからである。木々も下生えも川岸も、よく見れば枝を払われ、踏まれ、繰り返し整えられてきた形跡があり、遠い昔から積み重ねられた人の意志で満ちていた。北海道知床の森の中で、戦後まで行われていた開拓の痕跡を見つけようと、獣のように研ぎ澄ませてきた私の感度は、京の里山が発する人の「気配」を洪水の如くくらってしまったのだった。

 人の手の入った所は、必ず人の意志を残している。知床のように一見すべてが原生林に見えるような場所でも、家があった場所は意外にわかるものだ。目を凝らし、神経を風景の中に溶け込ませていけば、人の手が入らなければ「そうならなかった」であろう木々の形や植物の種類、土の状態が、鬱蒼とした茂みの中に、かつての家や畑や道の姿を浮かび上がらせるのである。

 そんな風に、今はもう見えない人の意志が、静かに充満する建物がある。開拓時代の三井農林の社員寮を残す北のアルプ美術館だ。玄関に一歩入れば、階段や手すりから大工たちの意志が、きしむ廊下から社員たちの足音や息づかいが迫ってくる。そして、壁やガラスケースの作品の一つ一つが、穏やかながら鋭い光となって無数の意志を投げかけてくるのだ。

 私も、意志を持たなければ跳ね返される。

 気配の波に呑み込まれてしまう。

 でも、呑み込まれていくのは何故か心地よく、まるで多くの人々に囲まれているかのような、あたたかな幸せさえ覚えるのだ。古い木造の部屋で、絵や原稿の前で一人ぽつんと立ち尽くしながら、飛び交う人の意識、繰り広げられる人の生き様と交信する。それは実に幸せなことではないだろうか。

《写真家・医師》

 

「知床開拓スピリット」
栂嶺レイ著書
第7回サライ大賞
BOOK部門賞受賞


新緑の北のアルプ美術館

 

尾崎栄子さん来館 2009年7月4日〜5日

 尾崎栄子さんと尾崎喜八研究会の方々が美術館を訪れてくださいました。アルプの白樺林でメンバーの方々によるリコーダーの演奏と栄子さんには詩の朗読をしていただき、贅沢なひとときを過ごしました。

雑誌「サライ」 2010年6月号に紹介

雑誌「サライ」で、北のアルプ美術館内で復元中の、串田孫一の居間の紹介記事が掲載されました。

「串田孫一の仕事部屋」 復元作業経過・その4

 慌てずに急げ、知恵が無ければ、時間に十分な余裕をと、計画の『基本方針』でしたが、4年の歳月が過ぎてしまいました。一週間が瞬きの如く、一年が駆け足のように通り抜けました。『居間』の復元作業に付きましては昨年の工事について変更等を行い7月下旬に、ほぼ出来上がる予定です。串田宅で使用されていた『クロス』は、30数年過ぎ、現在廃番になり、入手が不可能になりました。応用できる方法を仲間たちの協力の下に、最善の方法を考えました。この『居間』での経験を活かし、更に検討を加え『書斎』の作業に活かします。全国各地から、ボランティアでお手伝いしたいとの希望者もあり誠に有り難く、大きな勇気を戴いており感謝申し上げます。

北のアルプ美術館 山崎 猛

特別企画展 水越 武・写真展「光と風」

水越 武〔みずこし たけし〕

 1938年 愛知県豊橋市生まれ。 現在、北海道川上郡弟子屈町 在住。 27歳で田淵行男に師事し、写真を始める。その後フリーの写真家として穂高など日本の山岳、日本列島の原生林、ヒマラヤ・北米・シベリアの森林、中南米・ボルネオ・アフリカの熱帯雨林を撮影する。現在は温暖化により後退する世界の氷河、地球をとりまく生態系など、環境問題をテーマとして撮影を続けている。

  

「アルプの夕べ」−水越武講演会を予定しております。

<ページトップへ>

一年間の出来事 季節の便り 2009.7〜2010.6

2009 年
9月19日 アルプの夕べ「竹久野生お話し会〜アンデス高原から〜」
10月8・9日 台風18号到来
10月10日 斜里岳初冠雪

2010 年
2月26日 気温15.8度(2月最高更新)
5月1日 知床横断道路開通
5月15日 アルプの桜開花
流氷情報 ≪網走地方気象台発表≫
2月8日 流氷接岸初日
2月22日 海明け(1956年の統計開始以来3番目に早い記録)

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

簑浦登美雄・吉田幸子・入谷紘一・田中 良・塚本静雄・大谷一良・大森一彦・坂井久光中川眞一郎・北詰隆美・小松長三・田中清光・内田友子・渋谷義明・新谷 通・渡辺恭伸石田二三夫・毛利祥宏・竹久野生・林 幹雄・藤井宏志・水越 武・安岡健一・松村 嶐朝倉佳文・岡田朝雄・高柳昌央・小松昭子・滝田三男・小川隆史・佐藤敏恵・尾崎栄子・太田徹也・岩見禮花・堀 隆雄・堀井利治・山室眞二・熊谷 榧・中村晃忠・萩生田浩・ 栂嶺レイ・高澤光雄・清水敏一・中野靖浩・大森優子・浜野泰一・石岡生子・辰濃和男 ・ 山と渓谷社・ぎゃらりーゆめじ・且v潮社・蒲「文出版・株剃nノ・株虫R書房・椛セ陽・ 椛n文社・潟Aイワード・潟mーザンクロス・東京新聞出版局・北海道立北方民族博物館・ 斜里町 立知床博物館・美幌博物館・ 網走市 立美術館・北海道立釧路芸術館・札幌芸術の森
▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

アルプ基金−報告− 2009年6月1日〜2010年5月31日

522,283円となっております。ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

■おしらせ

▲▲冬期間の閉館をお知らせします。 2010年12月13日(月)〜 2011年2月28日(月)まで閉館します。ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。

▲▲ 年賀ハガキについてお知らせします。 2011年から新年のご挨拶は失礼いたします。 当館のホ−ムページと緑風にて、ご挨拶とかえさせていただきます。どうぞご了承ください。

編集後記

▲ 知床も初夏の訪れを感じる心地よい季節となり、観光シーズンを迎え、館内もお客様で賑やかになってきました。美術館を通して沢山の方々とお会いする事ができ、又、貴重な経験もさせていただいております。皆様に感謝の気持ちを込めて「緑風」をお届けします。 3年目も宜しくお願いいたします。(上美谷)

▲ 6月16日、家族の一員である犬の宙 ( そら ) とアーリーが楽しい想い出を沢山残して一緒に天国に旅立って行きました。14才と16才、大往生です。別れは悲しいけれど、出会え、家族として過ごせた事に感謝しています。美術館を通して、人との出会い、本との出会い、作品との出会い、沢山の出会いが心豊かな明日につながりますようにと願っています。(大島)

  No.18 2010年6月発行(年1回)
 編 集:山崎 猛/大島千寿子/上美谷和代  題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

もくじ
緑風メニュー

<<No.17へ

No.19へ>>