斜里に暮らして10年。北海道新聞網走支局の記者として、仕事で通った時期を含めると13年になる。畑に秋まき小麦の緑の新芽が顔を出すと「春だなあ」と思い、悠々と空を飛ぶオオワシを見つけると「冬だなあ」と思うようになった。
知床といえば、世界自然遺産の大自然とヒグマなどの野生動物。自然も動物も素晴らしいが、私がここで魅かれたのは、知床の自然を大切に思う「人」の存在だった。ヒグマと人との距離、増えすぎたエゾシカ、観光のあり方など課題の多い現場では、自然に向き合い、立場を超えて議論し、時にぶつかり合って試行錯誤するたくさんの人に出会った。不謹慎な言い方かもしれないが、おもしろい地域だなあ!と新参者の私は大きな衝撃を受けたのだった。
多くの出会いの中でも、山崎猛さん、千寿子さんとの出会いは特別なものだった。縁あって、北海道新聞夕刊「私のなかの歴史」の連載で山崎さんを担当することになり、何度もご自宅に通って話を伺った。乙部で過ごした少年時代や斜里の書店で働いた青年時代、偶然だった雑誌「アルプ」との出合い、独立後の苦労や家族への思い、串田孫一さんらとの交流、北のアルプ美術館の開館…。全14回の連載に収まらないほど豊富な話題があった。写真家でもある山崎さんが写真集「日本の灯台」の制作中、全国で目にした民俗芸能や風習の話はとても印象に残っている。
取材は通常業務が終わった後、いつも夕方から夜にかけてだった。山崎さんのドラマチックな人生を詳しく聞いていると、一本の長い映画をじっくり味わっているようで、網走までの帰り道、余韻にひたって幸せな気持ちになった。当時は毎日忙しくかけ回っていたが、本当に温かく貴重な時間だったと思う。
その後私は退職し、いち斜里町民になった。地域ミニコミ誌「シリエトクノート」の制作に携わる中で、最近は私と同じ30代やもっと下の世代の友人・知人が美術館を訪れ、アルプの世界に魅了される姿を多く見ている。アルプが伝えた自然賛歌の心は、山崎さんの情熱とともに、これからも斜里で息づいていくのだろう。
《シリエトクノート編集部》
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