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  No.22  2014.6

●主な内容

  1. 斜里の思い出 <山口耀久>
  2. 北の大地への想い <荒井正人>
  3. 縁 enici <内田幹男>
  4. 斜里へ <川道美枝子>
  5. まご先生と逢える場所
  6. 斉藤俊夫の書棚(金沢山岳文庫)事業計画
  7. 「アルプの林」春の嵐 その後
  8. 「アルプ」山の版画三人展
  9. 一年間の出来事 季節の便り 2013.6〜2014.5
  10. ご寄贈ありがとうございました
  11. おしらせ
  12. 編集後記

斜里の思い出   <山口 耀久>

 北のアルプ美術館の白樺林のなかに、「アルプ山荘」という来客用のロッジがある。2008年の夏の二カ月間、私はそのロッジにひとりで滞在させてもらった。出版をせかされている『アルプの時代』を書き進めるためである。山崎猛館長の好意によるもので、東京の暑さから逃れて、雑事にかきまわされぬ平穏な日々をすごすことができた。

 食事は三度三度、館の本宅のほうに招かれて、千寿子夫人手作りのご馳走にあずかった。男のやもめ暮らしで自炊の日常をよぎなくされている私には、面倒な炊事の手間がかからないのがありがたかったし、くつろいだ家庭的な雰囲気もうれしかった。
 頭がくたびれると、よく散歩がてらに裏手の丘にのぼりにでかけた。この丘は茂ったミズナラに包まれているが、こんな所にこんな丘が盛りあがっているのはおかしいから、もともとは砂丘だったのにちがいない。頂は、簡単な四阿(あずまや)のある展望台になっていて、近くのオホーツクの海が沖のほうまで見渡され、知床半島の山もその一部が見えた。

 坂道の二ヵ所に滑降用のケーブルが設けられているので、私はこの丘を「アスレチック山」と呼んでいた。人に会うことなどめったになかったから、時どきそのケーブルにぶらさがって滑降をやった。もしだれかがそれを見たら、いいトシをして子供用のあそび施設で遊んでいるヘンな男がいるぞと思ったかもしれない。

 滞在中に斜里神社のお祭りがあった。山崎館長は町の要人と挨拶をかわすのが煩わしいというので、千寿子さんと二人で出かけた。お祭りというのは、どこのそれも愉しい。斜里神社も、小さなこの町なみの賑やかさがあって、にこやかな老若男女の顔がそろっていた。仮設された舞台では、赤いドレスを着た、青江三奈ならぬ明江三奈という歌手が演歌を唄っていた。地面に敷かれた黄色いビニールシートにすわって聴き入る人たちにまじって、私もその明江三奈さんを聴いた。

 通りには露店も出ていた。こまごまとしたP戸の細工物をならべた一つの店で、蛙のコレクションをしている女の友人のみやげに、豆つぶくらいのちっちゃな蛙を五つ買うと、人のいい顔をしたおやじさんが、一個オマケをつけてくれた。

 滞在がおわりちかくなって、出版社の担当者の神長幹雄君が、日本山岳会図書委員の三好まき子女史と同道で斜里にやってきた。北のアルプ美術館の見学をかねて、私の執筆状態をさぐりに来たのかもしれない。が、神長君の運転するレンタカーで、知床峠を越えて宇登呂から羅臼を往復したり、摩周湖や屈斜路湖を見物に行ったりして、原稿のことなど忘れて三人とも大いに遊んだ。神長・三好ご両名ともロッジに同宿し、夜は遅くまでビールを飲みながら歓談に花を咲かせた。ふたりとも滅法アルコールに強く、付き合わされた私がどうやらビールの味をおぼえたのは、この時からだったといっていい。

《作家・元「アルプ」編集委員》

 

 

北の大地への想い  <荒井 正人>

  昨年夏の北海道旅行は忘れられないものとなりました。

 山登りを主目的とした旅でしたので、新たに四つの山頂に立ちました。特に、ニペソツ山は2013年(標高年)に2013メートルのピークを踏み、上士幌町から登頂証明書をいただきましたし、その山容には魅せられました。まさに名山でした。

 知床を久々に訪ねたことも思い出です。その昔、「知床100平方メートル運動」に賛同して八千円也を納めました。送られてくる「しれとこ通信」を読むと、まだ見ぬ知床と植樹祭参加への気持ちが募りました。昭和56年にそれが実現しました。前年に知床横断道路が開通しており、植樹祭の後は知床峠を越え羅臼に泊って羅臼岳登頂を果しました。のちのち流氷接近のニュースを聞くと、自分の植えた苗木は、厳しい知床の冬に耐えて成長してくれてるだろうかと心配になるのでした。それから33年ぶりの知床でした。知床100平方メートル運動ハウスに自分の名前を発見して植樹祭の時の光景が蘇りました。

 そして何よりも北のアルプ美術館。大事に保管している開館前月の新聞切り抜き、「よみうり寸評」。この時からずっと訪ねたいと思っていながら、ようやく訪ねられたのです。初めてなのに前に来たことがあるような不思議な感覚。「そうでしたか。ここにこの佇いでずっといらっしゃったのですね。」そう声をかけたい思いでした。

   加えて、私事ながら日本山岳会へ入会できたお礼状を館内で認めることができたのですから。復元された串田先生の書斎をじっくり眺めた後、すぐ脇のテーブルで手紙を書く心地良さといったら!コーヒーまで煎れて下さって。最高の思い出です。

 切り抜きは色褪せていきますが、北のアルプ美術館は益々輝きを放っています。私の美術館通いはこれからです。

《川崎市在住 日本山岳会会員・「この6月『山もよう 人もよう』(白山書房)を出版」》


(1992年5月11日 読売新聞)

 

 

縁 enici    <内田 幹男>

 私が初めて串田先生の文章に触れたのは高校2年の1974年、文庫の「光と翳の領域」でした。この本は当時のものがぼろぼろになってまだ手許にあります。あの頃満員の通学電車の行き帰りに、自然や人に対する深い省察の詰まったこの本は常に鞄の中にあり、思い出しては「スコットランドの丘」や「蒿雀」などを読んでいました。ある日山手線に乗っていると向かいに腰かけた人がそう厚くな い冊子を読んでおり、何気なく表紙を見ると「アルプ」と書いてありました。もしかすると串田先生の「あのアルプ」ではなかろうかとドキドキし、どこで求めることができるのか尋ねてみようか、いやもし間違っていたら恥ずかしい、などと愚図愚図しているうちに、その人は目黒で降りてしまい、私はその後アルプを手にすることは結局ありませんでした。

 大学では樹木の勉強をしたので三井農林という会社に入りました。カナダ材の買い付けなどをした後、いくつかの部署を経て今は総務部にいます。その総務部の仕事の一つに斜里の社有林管理があります。このため年に何度か斜里を訪れるうち「北のアルプ美術館」があることを知りました。会社の旧い先輩に訪ねると、「なんだ知らなかったのか。そこは当社の社員寮であったが、今は山崎さんという方がアルプという本を中心に・・・」と言うではありませんか。再びアルプとの邂逅です。しかもその施設そのものが自分の会社と深いご縁があったとは!

 昨秋、串田先生の「北海道の旅」にも登場する三井農場と共にできた集落の100周年記念式典に招かれた際、仕事の時間をやり繰りし初めて「北のアルプ美術館」を訪れることが出来ました。「音楽の絵本」が静かに流れる中、再現された串田先生の仕事場は思いのほかごちゃごちゃしており微笑ましく感じました。串田先生の文物に加え、詩人尾崎喜八の原稿も多くあり、来て良かったと心の底から嬉しくなりました。後日山崎館長にお会いしいろいろなお話をさせて頂き、「緑風」への拙文寄稿となった次第です。

 高校以来串田先生を敬愛する私が、後に山崎館長と深い縁が結ばれる会社であるとは露知らずに入社し、私自身が斜里での仕事を得てその山崎館長とお話をする機会を得る・・・。縁とは不思議なものであるとつくづく考えます。

《三井農林(株) 総務部長》

 

 

斜里へ   <川道 美枝子>

 1973年の夏、たった一人で斜里という町へエゾシマリスの研究にでかけることになった。シマリスを選んだのは大して理由はない。北海道をベースに哺乳類を調査するとしたら熊(怖い)、シカ、ウサギ(足が速い)、エゾリス(高いところに住処があり、高所恐怖症の私には無理)、エゾモモンガ(夜行性なので暗いから観察が難しいし、やはり高いところに住んでいる)というのは無理ということで、おそらく昼行性で、小型で人慣れしやすく、私でも研究できるだろうということだった。

 斜里の海岸沿いの砂丘にミズナラの海岸林が拡がっていた。ある偶然からその森にたくさんのシマリスがいるという情報で、一度偵察に行き、確かにシマリスがいるのを目撃したということだけが手がかりだった。

 森の近くの山崎さんという農家にむりやり転がり込み、一室を借りてひたすら森へ通い続けた。継続観察をした7年半の間に私は350頭のシマリスを捕獲し、それぞれに印をつけて放し、行動を追いかけ、巣場所を探し続けた。1年もたつとシマリスたちは、私の姿を見かけると、ちょっと動作を止めて、私を見、またその動作を続けてくれるようになった。私を森の中を騒々しい音を立てて動き回る無害な動物と認識してくれたようだ。

 森での7年半の研究が一段落したところで、ちょっとした事件が起こった。私が観察を続けていた森の木を営林署が「伐採」するという。1987年のことだった。それから何年もかけて「海岸沿いの天然林は日本では希少な環境であるから、保全すべきである」 と主張し、斜里には応援してくれる人もたくさんいて、森の木は一本も切られることなく、やがてシマリスの保護林として保全されることになった。

 海岸林の一部を切り開いた町営墓地がある。私はそこをついの住処としようと思う。愛するシマリスたちが森から訪ねてくれるかもしれない。

《理学博士 関西野生生物研究所代表》


「森をつくったのはだれ ? 」
 川道美枝子・合地信生・山崎猛 著
大日本図書( 1999.3 )


「シマリスの四季」
(郷土学習シリーズ、第5集)
川道美枝子・川道武男 著
斜里町立知床博物館( 1983.3 )

 

 

まご先生と逢える場所

 朝から爽やかな緑の風が心地良い。ウグイスの鳴き声も練習の成果で今は上手になり歌い続けている。こんな日には先生に会いたい気持ちになる。「わかば」2個を持って斜里岳や海別岳の残雪模様を伝え、大雪だった知床の鹿や熊たちの事も聞かれそうな気がする。先生と同居して丸2年、季節の巡りが実に早く、一瞬一瞬が鮮明に刻まれる年令を楽しみたい。


斉藤俊夫の書棚(金沢山岳文庫)事業計画

 斉藤浪子様のご厚意により、石狩当別の斉藤俊夫宅から運ばれた山岳書等の展示公開計画が予定より大幅に遅れてしまいました。申し訳ございません。

 昨年の春の大雨と強風で、「山荘アルプ」及び「アルプの林」が大きな被害に遭い、その修復整備に1年ほどかかってしまいました。

■ 2014年6月〜
  計画案・平面図の製作・デザイン検討
■ 2015年6月〜
 「山荘アルプ」既存建物改修工事
■ 2016年6月〜 一 般 公 開 予 定

  

 

「アルプの林」春の嵐 その後

  新しくなった「アルプの林」に春が優しく訪れてくれました。昨年( 2013.4.7 )の春の災害が夢のようです。敷石を並べて散策路を整備したり、アルプの森(越川地区)育成畑から移植したり、今後も植樹・整備等の修復作業を続けていきます。

 20周年記念植樹の木々たちも2度目の若葉を広げてくれていて成長が楽しみです。


  

 

「アルプ」山の版画三人展

2014年9月17日〜2015年9月上旬まで

一原 有徳  プロフィール

 1910年徳島県生まれ。3歳の時に一家で北海道に渡り、小樽を拠点に版画制作を行う。モノタイプ手法を用いた特異な作風で国際的にも名高い。また版画家以外に登山家や俳人としても多くの足跡を残した。登山を通して触れ合った自然を、版画によって表現しています。2010年老衰のため逝去。


知床岳

畦地 梅太郎  プロフィール

 1902年愛媛県生まれ。10代で上京して油彩を自習、やがて創作版画家として全国の山々や山男をモチーフに独自の世界を確立する。また、その人柄から優しさとぬくもりのあるユーモア溢れる文章は多く愛読されている。著書にたくさんの版画集や画文集、エッセイ集がある。1999年肺炎のため逝去。


アルプス遠望

大谷 一良  プロフィール

 1933年東京生まれ。57年東京外国語大学スペイン語科卒業。総合商社の勤めを終え、96年よりフリーの版画家。この間、畦地梅太郎氏に私淑、「アルプ」をはじめ「まいんべるく」「山と渓谷」「心」「岳人」などに表紙画やカット、文章を発表。山岳関連書の装丁・装画も数多く手がけている。


山の絵姿

作家の作品・直筆原稿・著書・資料等を展示いたします

 

一年間の出来事 季節の便り 2013.6〜2014.5

2013年
 6月 1日 知床横断道路開通
       (4月下旬〜5月上旬の降雪により平成になってからは最も遅い)
 7月 8日 串田先生の命日に美術館の新しい看板設置

【製作・寄贈者、丸子政一さん
10月14日 斜里岳初冠雪(昨年より8日早い)

2014年
 2月 9日 流氷接岸初日(網走地方気象台発表)
 4月15日 アルプの庭でクロッカスが咲く
 5月 5日 アルプの林でウグイスの初鳴き
 5月 7日 アルプのエゾヤマザクラ開花
 5月23日 早朝にかけ季節はずれの雪が降る
 5月29日 最高気温29.7度になり真夏並みの暑さに

 

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

梅沢 俊・野本 元・田中清光・三宅秀幸・鮫島惇一郎・野口冬人・堀井利治・川嶋恂子
・八木祥光・田部井淳子・根来譲二・小田島護・恩田俊二・長浜信介・谷 浩彦・田中秀夫・三輪克子・渡辺健三・田中 良・大谷一良・萩生田浩・柏原克明・高澤光雄・諏佐知子・中神哲二・清水義夫・松村和仁・小野木三郎・三浦 博・山室眞二・水越 武・片山弘明・佐野 力・吉井 裕・岡部洋子・中村好至惠・中嶋康博・油井孝裕・小松富一・安田智哉・阿部正恒・加藤建亜・浜野泰一・田村 巌・長尾正照・武田 厚・上田茂春・牛尾 孝・白山書房・朝日出版社・東川町役場企画総務課・東京新聞出版部・斜里町立知床博物館

▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

アルプ基金−報告− 2013年6月1日〜2014年5月31日

  474,6175円となっております。
  ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

■おしらせ

▲▲ 冬期間の閉館をお知らせします。 2014年12月15日(月)〜2015年2月28日(土)まで閉館します。
 ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。

▲▲ アルプ作家で当館の絵葉書を描いていただいております永野英昭さんが6月10日にお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

編集後記


オオバナノエンレイソウ
2014.5.14

▲ 昨年 4 月の暴風雨の復興作業の大変さと共に幾つもの大きな判断を余儀無くされた1年でした。何本もの倒れた木の跡にはイタヤカエデ、カツラ、カシワ、ミズキ等が植えられ白樺が主だったアルプの林も次世代の林の顔へと移行しています。苗木がちいさな根を張り、やがて大木になっていく長い年月がいつまでも平和であってほしいと思うのですが、国民の声を無視した為政者の傍若無人な暴走ぶりは日本をどこに向かわせようとしているのか目に余るものがあります。命を大切にし、そして文化が育まれる社会であってほしいと思います。(大島)

▲ 一年ほど前から山に登ったり森や湖を散策したり、休日は自然の中で過ごすことで心身ともにリフレッシュしています。自然から癒しのパワーをもらい、また明日からも頑張ろう!と思えるのです。休日の過ごし方やリラックス方法は人それぞれですが、当美術館でのんびり芸術鑑賞をし、心の気分転換をしてみてはいかがでしょうか。皆さまのご来館を心よりお待ちしております。(上美谷)

 

  No.22 2014年6月発行(年1回)
 編 集:大島千寿子/上美谷和代       題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 山崎 猛
 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 0152-23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

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