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  No.25  2017.6

●主な内容

  1. 下山路 <三宅 修>
  2. 海の老人 <池内 紀>
  3. あれから四半世紀、という思い出 <武田 厚>
  4. 北のアルプ美術館25年までの足跡をめぐって <鈴木 眞吾>
  5. 「斉藤俊夫山岳文庫」2017年6月15日公開
  6. 企画展のお知らせ 企画展 高橋清展(2017年9月15日〜2018年9月9日)
  7. 美術館ボランティア募集
  8. 一年間の出来事 季節の便り 2016.6〜2017.5
  9. ご寄贈ありがとうございました
  10. おしらせ
  11. 編集後記

下 山 路     <三宅 修>


 「新しい山の雑誌を創りたいと言う話がある。編集するつもりがあるか。」という串田孫一先生の天の声を聞いたのは昭和32年の終わりの頃、私が25歳のときだった。「梓書房の『山』みたいだと良いですね。」と言ったのは、ちょうど古書店で見つけた『高原特集号』を読んで感銘を受けていたからだろう。これで合格したらしく、尾崎喜八さんと3人で誌名を決めるから君も考えておくように、と言われて思いつくまま書き散らした原稿用紙を持って上野毛の尾崎さんを訪ねたのが昨日のように思い出される。

 大先生に囲まれて小さくなりながらこんなのはどうでしょうかと恐る恐るいくつかの誌名を並べ・・・。そこで3人の一致したタイトルが『アルプ』だった。正確に言えば複数の一致名のなかで文句のつけようがない新雑誌のイメージに相応しいと意見が一致したのである。順風満帆の創刊は昭和33年3月、起伏はあったもののそれから25年、昭和58年2月、300号で終刊を迎えている。

 その間に多くの出会いがあり、別れがあった。1983年(昭和49)大黒柱の一つ、尾崎さんが碧い遠方へと旅立たれた。2005年(平成17)には串田先生も・・・。アルプが終刊し特集号を出せないので、アルプの体裁そのままの単行本『アルプ特集 串田孫一』を刊行し追悼の意を尽くしている。2015年には串田さんと隔月に表紙を創っていた盟友大谷一良まで・・・。

 そして今年、54年連れ添ってきた妻、北原節子まであの世に旅立ってしまった。父親が岡茂雄さんの親友で松本中学、幼年学校、士官学校と何時も一緒だったとか。同じ阿佐ヶ谷に住み家族ぐるみの付き合いだったので、アルプへの原稿をお願いしたものだ。串田先生とはアルビレオ会の創設以来のお付き合いで私より長い。アルプに書きためた文章を纏めた『息子と行く山』はNHKの私の本棚で何回か放送されたりした。楠トシエの歌ったホームソング『お母さん覚えていますか』やペギー葉山の『今宵を貴方に』、淡谷のり子の『エンジュの花びら散るけれど』などの歌もある。その総てを地上に残し、彼女はあちらで待ち構える旧い仲間達と愉しい再会を果たしているのだろうか。

 「アルプ」も「我が師、我が友」も過ぎていった。私はもう一度我が山へと戻るつもりでいる。

《写真家》

アルプ創刊号表紙
1958-3
アルプ終刊号表紙
1983-2

 

 

海の老人   <池内 紀>


 主に50代のころだが、「地底散歩」と称して洞窟や鍾乳洞をよく歩いた。東京の西の郊外に住むので、少し足をのばせば奥多摩や秩父である。地図に見るとおり、あちこちにホラ穴が口をあけている。個人所有のケースもあって、許可願を送ったところ、ご当主がぢきぢきに案内くださった。自分のものは自慢したくなるらしく、「東洋一」を連発されて閉口した。

 洞窟への興味から、スロヴェニア南部のカルスト地帯を訪ねたことがある。可溶性の岩石より成り立つ地域で、20数キロに及ぶ洞窟が縦横にのびており、文字どおり「世界一」のスケールである。一般の人が入れるのは5キロのところまでで、それも案内人つき、途中までお伽列車のような鉄道で送ってもらえる。

 学術調査隊の記録が残されていたが、深い闇をくぐって奥へ奥へと進んだところ、鍾乳石につつまれた湖があった。永遠の死の世界であって、生き物はいないと誰もが思った。ところがカンテラの明りに、体長10センチから30センチほどのイモリに似たものが照らし出された。ヘビのよう身をくねらせて水中を進む。前脚が2本、後脚が2本あって岩に這い上がる。アゴにヒラヒラしたものがついていて、針でつついたような2つの小さな目が見えた。明かりをあびると、うれしそうに踊るようなしぐさをした。

 外敵をもたないので、ツノやキバといったものはなく、内臓そのものが露出したような体形で、光のかげんで青っぽく変化した。


画・池内 紀

 学名がつけられてプロテウス・アングイヌス、「海の老人」といった意味がある。プロテウスはギリシア神話に出てくるが、変身の能力をもち、未来を予言する。

 以来スロヴェニアの宝物で、記念貨幣になっている。こればかりはアメリカのドルにも、ユーロの経済力をもってしても、どうにもならない。小国の小さな生き物のもつ神秘的な生命力とくらべれば、ハイテクとコンピュータの生み出す驚異など、せいぜいディズニーランドのつくりものにすぎないのだ。

《ドイツ文学者・エッセイスト》

 

 

あれから四半世紀、という思い出    <武田 厚

 
 何かをやり遂げようとしている人、というのが、初めて山崎さんに出会った頃の率直な印象だった。写真家であることは分かっていた。オホーツクの四季の音が聞こえる写真集だった。灯台のある詩集のようでもあった。何でもよく知っている人だと思った。自然を愛する文芸人の匂いもした。夢を語る青年のような輝きを持っていた。その夢に誘われるのが私は楽しかった。

 そして間もなく美術館ができた。「北のアルプ美術館」というちょいと洒落た名前がついた。その名に似合った洋風の瀟洒な建物だった。まわりを若々しい白樺林が優しく包んだ。板張りの美術館の中には、今思うと、どこか懐かしい昭和の温もりのようなものがあった。ゆかりの人たちの絵や彫刻が並んだ。雑誌「アルプ」もあった。その「アルプ」が美術館の主役だった。

 文芸誌「アルプ」は言うまでもなく串田孫一氏の哲学の広場であった。山崎さんはその双方を心から敬愛してきた。そしてついに串田孫一仕事部屋というものをアルプ美術館に持ってきた。その部屋は「アルプ」誌に溢れる自然と人間との豊かな営みを見る思想の源泉の場であった。その話を聞いて私も大いに驚いた。あの小さな美術館の設立から二十年という年であった。山崎さんという奇特な文化人の“祈り”のような大仕事だと思った。

 設立の頃、幾度か美術館のある斜里を訪ねた。斜里は知床の入り口に当たる。オホーツクは直ぐ傍にあった。思えばあれから四半世紀が過ぎた。シレトコが世界遺産となってからは行っていないが、時々送られてくる美術館だより「緑風」が、まさに風の便りのようにその後の様子を伝えてくれる。だから、あの美術館が、オホーツクの傍でゆったりと文化の根を張っていることは分かっていた。飾らない大自然と親しく共生する飾らない精神の館のようなものだと思っている。

 結局山崎さんは今後もやりたい事をやりたいようにやるだろうし、誰のために、というよりも自分のためにやるに違いない、と私は思っている。だからこそ社会的に意義あるものが産まれ、遺されていくのである。量ではなく質である。芸術と同じことである。

《美術評論家・多摩美術大学客員教授》
 

北のアルプ美術館絵葉書より 田中 良・油彩

 

 

北のアルプ美術館25年までの足跡をめぐって <鈴木 眞吾


 斜里印刷の社長三浦詔男さんから前日来訪の電話があって、当日待っていたら、思いがけず、北のアルプ美術館館長の山崎猛さんと一緒にやってきた。用件は北のアルプ美術館だより「緑風」の原稿依頼だった。私ごとき者がと思ったが、残り少なくなった斜里生まれの古株の一人として引き受けることにした。この話は簡単に終わった。しかし、それからが長かった。同じ時代に、同じまちの、同じ空気を吸って歩んだ者同士のいろいろな思い出に火がついてしまったのかも知れない。

 第一次・第二次知床ブームはまちの様相を一変させ、1971年には観光客の入込数は120万人に膨れ上がり、自然保護か開発かの選択はまちの重要な課題となってきたが、山崎さんは、すべては動物文学のジャンルを切り拓いた戸川幸夫が1959年から知床を訪れ、「オホーツク老人」を書いたことにはじまるといい、戸川さんと深い親交をもつ彼は、どうしたら知床の自然をありのまま末永く人々に伝えてゆくことができるか考え合ったことなどが、ぽつぽつ口から洩れてきた。

 一方山崎さんが始めた小さな事務・文房具店はコピーセンターとして大きく成長し、旧網走信用金庫跡を買って改装した別館の一部に開設された「ギャラリー アド」のことも忘れられない。当時町内には適当な展示場がなく創作した作品を自宅に眠らせていた“まちの芸術家”たちは喜んだ。身近な人たちの作品が次々に姿を現し、また合間に山崎さんの親しい町外プロの絵画展、写真展などが登場して大いに賑わい、ギャラリーに続く喫茶室はコーヒーのサービスもあって、しばし立ち寄った人々の間に談話が生まれて、一寸した町の文化サロンの誕生でもあった。開発が進んで知床へ向かう道路がどんどん整備されていったころ、“平凡に見える林や草むらにも、実はいろいろ生きものがつながりあって生きていて、舗装道路が一本走ればもう越え難い二つの世界に分断されてしまうんだよね。”と彼が心配そうに語ったことが妙に印象に残っている。中学を卒業して勤めていた本屋の片隅にガリ版刷りの彼の自作の詩集が置かれていたのを見たことがあるが、その頃彼が偶然出会った串田孫一の『アルプ』が心を捉え、それからの彼を動かす終生変わらぬエネルギーの源泉となったことは広く知られている。1983年300号をもって『アルプ』が幕を閉じた折、“『アルプ』が語り残したものを次の世までも伝えたい”という彼の願いは、1992年「北のアルプ美術館」の開館となって結実し、それから25年後の今も心のオアシスとなって、真にみどりと人間の調和を願う人たちを暖かく迎え入れている。

《真宗大谷派 西念寺・住職》


    秀峰・斜里岳

 

 

「斉藤俊夫山岳文庫」 2017年6月15日公開

 

蔦で覆われた斎藤俊夫宅(2012年8月撮影)
スケッチブックより 斜里岳

 斎藤俊夫氏は山に登り、又山岳関係の本を多数蒐集しておりました。住んでいた地域の名から『金沢山岳文庫』と名付け、蔦に覆われたその家は山の本好きな仲間達の集まりと語らいの場でした。また山岳画家として知られる坂本直行氏が発足した「 歩々 ( ぽっぽ ) の会」に所属し、山や自然をモチーフにした絵や登山でのひとコマ等を多く描いていました。斎藤氏は2004年2月に68歳で逝去されました。生涯にわたって蒐集し続けた山岳図書の一部、登山や旅行のスケッチ、書斎に残された文房具など愛用品の数々は、縁あって北のアルプ美術館へと居を移しました。

本棚に並ぶ山岳図書

 当館では、開館25周年記念事業としてかねてより準備を進め、このたび『斎藤俊夫山岳文庫』として6月15日に公開いたしました。

 白樺の林を眺めながら本を手に取り、 一刻 ( いっとき ) でも山の時間を楽しんでいただけたら幸いです。

 なお、「斎藤俊夫山岳文庫」の見学を希望される方は事前にご連絡をお願いいたします。

 

窓からは季節ごとに表情を変える
白樺林が眺望でき、
訪れる人を優しく出迎えます。
部屋は大きく3部屋構成


 

企画展のお知らせ


 北のアルプ美術館の収蔵作品より高橋清展を開催いたします。高橋さんは『日本』、『道ばたの四季』、『夏の虫・夏の花』(福音館書店)等、多くの絵本を描いております。

 今回は主に原画を紹介しますので、絵本と合わせて楽しんでもらいたいと思います。又、原画の他に小品も展示しますので、絵本とは一味違う高橋清さんの世界をご覧ください。

 高橋清さんは1929年、京都府生まれ。現在も絵本・挿絵・油絵作家として精力的に活動を続けておられます。

 

美術館ボランティア募集


 北のアルプ美術館では、活動のサポートをしてくださるボランティアの方を募集しています。男女問わず、一日だけのお手伝いでもOK!遠方の方でも大歓迎です。関心のある方、希望される方は当館までお気軽にお電話下さい。お待ちしています。

 主な活動内容について

清掃活動(窓拭き、年末大掃除)
◇庭の草とり ( 春〜夏 ) 、落ち葉集め ( 秋〜冬 )
◇展示替え(今年度は9月中旬)
◇収蔵作品、資料整理
◇イベントのお手伝い

  

 

一年間の出来事 季節の便り 2016.6〜2017.5

朗読会(串田孫一の再現された居間にて)

2016年

8月11日 山の日ちいさな朗読会
     企画・運営:北のやまねこ座
8月24日 斜里高校のインターンシップ(学生1名)
     当館にて職業体験を実施・指導
10月7日 斜里岳初冠雪(昨年より 1 週間早い)

 

毎年のようにアルプの林で子育てするカラス。
今年も白樺の木で営巣しています。

2017年

2月2日 流氷接岸初日(昨年より20日早い)
3月6日 海明け( 昨年より6日遅い)
4月28日 知床横断道路開通
5月5日 エゾヤマザクラが咲き始める

 

 

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

清水義夫・田中清光・富樫純治・高橋哲雄・今村昌耕・内田康男・佐藤敏恵・萩生田浩・平出眞治・高澤光雄・岡田朝雄・山室眞二・小松昭子・片山弘明・岡部洋子・神長幹雄・清水陽子・大森久雄・中山芳子・飯田富洋・花島徳夫・加藤建亜・小室 洋・吉井 裕・梅沢 俊・山田 充・久保井正顕・二階堂良憲・日本山書の会・白山書房

▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

◆アルプ基金・寄付金報告− 2016年6月1日〜2017年5月31日

203,708円となっております。
  ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

 

■おしらせ


▲▲ 冬期間の閉館をお知らせします。2017年12月11日(月)〜2018年2月28日(水)まで閉館します。

▲▲ 登山家・田部井淳子さんが昨年10月20日にお亡くなりになりました。田部井さんには、2012年6月17日に当館の開館20周年事業の一環で講演を行っていただきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

▲▲ ツイッター( Twitter )を開始しました。より多くの方に美術館の身近な話題をお伝えしたいと思いますので、ぜひご覧ください。
 北のアルプ美術館 https://twitter.com/alp_museum

 

 

編集後記

 


キビタキ 2017.5.31

 

 

▲アルプの林は白樺が多いのですが、これは館長が30年以上前に1本1本植えたもの。白樺の寿命は30年位と言われますが、この数年強風や大雨になると、下から折れたり、根こそぎ倒れることが多くなりました。 今はその跡に、アルプの林で芽吹いた実生の白樺や楓、桂、ミズナラ、桜等を植えています。数年後、現在とは少し違う林の姿で訪れる人を迎える事でしょう。美術館も25年が経ち、業務や作業が格段多くなりました。これからは様々な方々のお力をお借りしながら共に歩んでいきたいと思い、ボランディアを募ることにしました。次の歴史への一歩、静かに進んでいます。(大島)

▲開館20周年記念事業で行った様々なイベントの光景が、ついこの間のことのように思い出されます(しみじみ)・・・ あれから5年、あっという間に25周年を迎えました。何事も始めるのは簡単だけれど、それをやり続けるのは本当に難しいことだと思います。小さなことの積み重ね、大事ですね!(上美谷)

 

  No.25 2017年6月発行(年1回)
 編 集:大島千寿子/上美谷和代       題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 山崎 猛
 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 0152-23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

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