北のアルプ美術館たより | No.17 2009・6 | ||
『アルプ』 余香 |
尾崎 栄子 | ||
その後も尾崎が最晩年を過ごした北鎌倉・明月谷と串田家との「定期便」は続いた。鎌倉は郭公の渡りの通り道ではないらしいと嘆いているところに、串田さんからお電話がかかり、武蔵野で鳴く郭公の声を電話口から聞かせてくださり、父が大喜びしたのを、今の季節になると思い出す。「僕の方はオオイヌノフグリがあちこちに咲き始めましたよ。小金井はどうですか?」というように、年寄りの父とお若い串田さんとの、身近な自然の情報交換や共感のこもったやりとりを通して、それぞれが自分の小さな博物誌を編んでいたのではないかと想像する。 * 一昨年、友人や尾崎喜八研究会のメンバーとともに、初めて「北のアルプ美術館」を訪ね、終日「アルプ」の世界に身も心も浸ることができた。二階の廊下に飾ってある小さなピアノの説明パネルに、串田さんが使ったものであり、奥様の伴奏で尾崎喜八らがブロックフレーテを合奏した・・・と記されていた。山崎館長からその説明を伺うや、笛の心得のある同行の男性2人が、持参していたブロックフレーテを同時に取り出して、父が採譜し愛唱もしていたアイルランド民謡「西風の歌」を、その場で演奏してくれた。そして同行していた伊藤和明さん(元NHK解説委員で串田さん主宰の「コンソール・ゼフィール」の一員)にも笛が渡されて、3人による合奏が始まった。その突然の僥倖に、同行の女性たちは皆涙ぐみ、山崎館長もお顔を紅潮されて、聞いてくださった。 こうした素晴らしい出来事に接すると、先に書いたような尾崎と串田さんの「共感のこもったやりとり」を大切にする心が、いまだにアルプのまわりには生きていることを実感するのである。 |
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円と楕円 |
重本 恵津子 | |
初めて山崎猛さんを知ったのは、尾崎喜八先生の命日蝋梅忌の席上だった。「北のアルプ美術館が開館の運びになった」という報告だったから、あれからもう十七年になる。 日本の実業家には立志伝中の人が多い。起業に成功して富を蓄え一族や社会の繁栄に寄与している人は結構いるが、成功した事業家であって、かつ、芸術家である、という人には、ほとんど出会ったことがない。 山崎猛の素顔は一体、実業家なのか、それとも芸術家なのか、それを見極めたくて、私は彼が去年、北海道新聞に連載した自伝『私のなかの歴史』をくり返し丹念に読んだ。爽快だった。この爽快さは何だろう。たしかに彼は楕円のように焦点を二つ持ってはいるが、その二つは無限に近づいていって一点に重なっている。つまり、完全な円になっている。 幼時 、 白米を口にすることも出来ぬ貧しい家に育ち 、 十五歳で書店に丁稚奉公に出され一日十五時間労働 、 休みは正月一日だけ 、 重い本をソリに積んで凍えながら雪深い山道を二十 km も歩いて配達する山崎少年は 、 二十歳の時 、 初めて 『 アルプ 』 の創刊号に出会う 。 そしてたちまち虜になってしまう 。 一方 、 ジャズ喫茶にあこがれ 、 詩や文章に夢中になり 、 斜里高校バレー部出身の三津ちゃんに惚れて結婚してしまう。おまけに 、 初めて買った中古のペンタックス一眼レフに手を震わせ、写真コンテストで一等取りたくて 、 撮りまくり 、 遂に山で遭難して 、 一ぺんに目が覚める。 実業と芸術の二つの焦点は山崎青年の場合、最初から中心の一点なのだ。円は楕円より美しい。だからこそ串田孫一氏とその御家族が遺品、書斎、資料のすべてを彼に託したのだろう。選ばれてあることの恍惚と不安が彼にあるのか、ないのか・・・・・、今年の蝋梅忌のあと、夕食を伴にした山崎氏は、髪も髭も白いただの好々爺だった。 |
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《作家・女優》 |
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若き日の山崎の横顔 |
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「アルプ」と私 |
小野木 三郎 | ||||
高校を卒業して大学の入学式までの春休みに、立ち寄った書店でふと手にした一冊80円の雑誌「アルプ」、気品ただよう小冊子にすっかり魅了された私でした。運よく創刊号から愛読者となり、以来大学四年間はもとより、山国の理科教師となっての社会人生活〜と、終刊まで、「アルプ」は私の自然や山との接し方についての最大の教師となったのでした。 まだテレビがあまり普及していなかった昭和30年代の後半、 NHK ラジオから流れる15分番組、尾崎喜八さんや串田孫一さんの自然紀行ともいえる「自然のアルバム」をテープに録音し、担当の理科の授業中に生徒に聞かせてやったり、「アルプ」のお気に入り文章を朗読したりの脱線教師だったことは、懐かしい思い出となっています。 《人生七十古希稀なり》と云われる世代に突入した今も、コツコツと日本及び世界の山歩きを続けられるのも、スポーツ登山に飽き足りない私へと、「アルプ」が育て上げてくれたお陰だと感謝しています。今日、中高年登山ブームとさえ云われる程、日本の登山界は様変わりしていますが、それはどんなに先鋭的なアルピニズムに基づく登山活動が盛んであっても背景に、「アルプ」精神が脈々と息づいて来たからだと思っています。岩壁と氷河の世界とは異なり、森林と清流に恵まれた日本の山々、その日本の自然風土の中での、日本人による日本式の山登りは、これからも忘れ去られることはないでしょう。 「アルプ」の精神を後世に残したいと、双六山楽共和国を建国し、知的遊山の行事を開催したり、自然観察楽習登山を実践したりして来た私でしたが、「北のアルプ美術館」の実現は有頂天にさせられた快挙でした。串田孫一さんの仕事部屋まで併設復元される山崎猛さんの行為は、エヴェレスト初登頂にも匹敵する前人未踏の偉業と称えられるべきです。山崎さん、ありがとうございました。 |
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《元:高山短期大学講師・飛騨自然博物館学芸員》 |
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めぐり逢い |
平野 紀子 |
4月中旬、息子は「北のアルプ美術館」に、故角田勤アルプコレクションを見に出掛け、山崎さん始め皆さんとお会いして、いっぱいおしゃべりをし、写真集「オホーツク」流氷の季節を大事に抱え、戻ってきた。初めて見る「流氷」の写真集である。今まで新聞の空撮による「季節の風物詩」でしか見た事がなく、ずっしり重いこの一冊「流氷」をめくると、新聞写真とはあまりの違いに驚ろく。迫力と荘厳と神々しさに圧倒される。昭和35年から撮影しつづけた山崎さんの魂の燃焼を思う。本物に出会う事は叶わぬ夢であるが、この一冊で山崎さんの何百分の一かの心の震るえを確実に味わえる。 札幌出身の私は昭和36年7月、女ばかり4人で無謀にも羅臼岳を目ざし岩尾別に入った。動機は前年の昭和35年、知床に初めて学術調査隊が入り、当時勤めていた北海道新聞社が、連日ルポを掲載して、未知であった知床の全容を、初めて一般の人々に知らされた。父の影響で山が好きだった少女の夢が飛躍してしまったからだ。雨の中、道連れになった国鉄マンの山男3人とズブ濡れになって羅臼を越え、ウトロの木下小屋のところにたどり着きそのまま斜里に向った。平成9年、36年振りで知床観光へ行き、新しくなった木下小屋を訪れ、蒸気機関車の釜炊きと覚しき改造ストーブを見て、一人若き日を懐かしく想い出していた。そして思いがけない御縁で義母の親戚の角田先生の「アルプ」コレクションが美術館に収められた。永年憧れて、いつか行ってみたいと思っていた美術館に昨年6月歓喜いっぱいで訪れる事が出来、その喜びは40数年前に訪れたルーブル美術館よりも大きかった。展示室の板の間に座って、コーヒーをいただきながら、山崎さん、大島さんとおしゃべりし、大島さんが偶然私と同窓であったり、今、又串田孫一さんの書斎が移築再現される日が近づいている。私の満1才の誕生日に山男だった父は36才で事故で亡くなっている。奇しくも父の名は孫一で、私は物心がついた頃より、父と同じ名の串田孫一さんを父の面影と思い見つづけていた。その事を思う時、幾つもの「めぐり逢い」を神様に感謝しなければならない。 (2009.5.8 川畠成道さんのCDを聴きながら) |
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《尾瀬沼畔・長蔵小屋》 |
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特別企画展「角田 勤アルプコレクション展」 |
角田静恵 |
2008年6月11日 〜 2009年5月30日 今日五月十六日で角田が亡くなって丸六年になります。沢山の事があった六年でした。その中でも北のアルプ美術館との出会いが一番大きな出来事だったような気がしております。思いがけず山崎猛館長さんと知り合い、この北の果ての美術館において角田の持っておりましたアルプ関係の作品を展示させて頂く事になり、それは夢のような企画展になりました。総て山崎さんのお計らいで、まるでそこに角田が立ち会っているように整然と美しく、すみずみ迄暖かな心遣いの感じられる展示でした。 角田は勿論一度も山崎さんとはお目にかかっておりませんが、山崎さんは「角田さんとは以前からお知り合いだったような気がしています。」とおっしゃって下さり、この企画展が終了致しましても又足を運んでみたいと思っております。 この企画展中に各地より多勢の方々が訪れたと伺っております。おいで頂きました方々に角田の作品達もアルプの精神を伝え引き継がれる事にお手伝い出来たのでは・・・・と存じながら感謝と共に心より御礼申し上げます。 これから先も串田先生の書斎作り等北のアルプ美術館の充実に御尽力されアルプの精神を広めて行こうとされる山崎さんに改めて深く感謝申し上げます。ありがとうございま した。
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▲2009企画展 「限定本」 &「特装本」展2009年6月5日 〜 2010年5月30日
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▲特別企画展「竹久野生・絵画展」 アンデス高原から 2009年6月5日 〜 9月20日
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●一年間の出来事 季節の便り 2008 . .7 〜 2009.6
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末永くお幸せに |
▲ ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)
▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました |
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おしらせ
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緑風-北のアルプ美術館たより No.17 2009年6月発行(年1回) 編集:山崎猛/大島千寿子/上美谷和代 発行:北のアルプ美術館 印刷:(有)斜里印刷 題字:横田ヒロ子 〒099-4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11-2 TEL.0152-23-4000/FAX23-4007 http://www.alp-museum.org メールアドレス:mail@alp-museum.org |
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