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北のアルプ美術館たより    No.14 2006・6 
     
昨年、2005年7月8日 串田孫一氏が亡くなられました。
今号は、串田先生への追悼のページといたします。    


  遠い日のこと


大谷 一良   

 東京で梅雨が始まって初夏と呼んでもよい季節だが、今年の斜里は冷たい雨。気温は十一度ということだった。串田さんの奥様、美枝子夫人と次男の光弘さん夫妻とご一緒して斜里に着いた。美枝子夫人には初めての、光弘さんは一九六二年五月の、串田さんの『北海道の旅』に同行して以来の斜里である。

 美術館の山崎猛さんには、当時串田さん、光弘さん、そして写真家の三宅修さんの三人の訪れたと思われる処を(斜里岳は別として)、雨の上がって陽の差す日に案内して頂いた。清里、藻琴、摩周湖、川湯、エゾシロイソツツジの群生地、屈斜路湖。和琴では、なんと当時泊まられた民宿「湖畔荘」が、今は温泉旅館としてなお続いているのを偶然発見して皆で驚いた。また、三井の森では、センダイムシクイが鳴いていた。

 家内と私には、串田さんのご家族とのこのような旅は初めてだったが、それで思い出したのが、美枝子夫人もご一緒の日帰り散策をした日のことだった。一九六○年四月三日、奥武蔵の越生丘陵で、串田ご夫妻、三男の怜君、尾崎喜八ご夫妻、山口耀久ご夫妻、河田驍ウんと娘さん二人、三宅修さんに結婚前の家内と私の計十三人。
八高線の毛呂から歩き、桂木観音でお昼になった。私たちは一番若かったし、私は少々張り切って、お寺の縁先でコロッケを作って揚げた。これは、その前に、串田さんと一緒に木曾御岳に登ったとき開田高原の天幕で好評だったのを思い出し、準備をして行ったものだ。潰したじゃがいもに挽肉を混ぜたたねを捏ねて形を作る。その時、私はこれで手がきれいになるんですと言い、それを耳にした尾崎さんが、実に嫌なお顔をされたものだった。

 その時のご馳走は、三宅さんの記録によれば、コロッケの他、焼肉、サラダ、ピーマンの肉詰め、澄まし汁、おにぎり、アップルパイ、コーヒー。
花は、シュンラン、キブシ、ジゴクカマノツタ(キランソウ)などを見たとある。 

季節は少し早いかも知れないが、私の記憶では、センダイムシクイが鳴き、尾崎さんがあれはショウチュウイッパイグイーッと鳴いているのだと言われた。俄か雨に会ったが、楽しい一日だった。

 ―先日聞いた三井の森のセンダイムシクイの声が、こうしてあの遠い日を呼び戻すことになった。

 




串田孫一さん

 

  


今村 晋一郎

 串田孫一さんが亡くなって、この15日で百日となる。この夏は、串田さんがいなくなってしまったという思いばかりで時が過ぎた。同時代の人として串田さんが東京・小金井のただ一つ残った雑木林で文章を書いている、それだけで心強かったのだが、頼りにしていたお地蔵さまが、ふっと消えてしまったような心許ない感じがするのだ。
 
 あえて近づかなかったから、特に親しかったわけではない。最後に会ったのは30年ほども前、上野の東京文化会館入り口、黒沼ユリ子とヤン・パネンカのコンサートのときだった。「やぁ、しばらくです」とあいさつをいただいた。久しぶりで間近に見る串田さんは意外に小柄に思えた。

 最後にお声を聞いたのは、2年前の年末、はるばる拙宅に電話をかけてくださって30分ほどよやまの話をした。駅では出札の扱い方が分からず戸惑っていると、若者がこうしなさいと教えてくれたこと、NHKの玄関で以前は心得ていて自由に通してくれたのに、そうではなくなってしまったことなど、声に張りがあって、正調東京弁の歯切れ良さが楽しかった。

 このときの約束をまだ果たしていない。復刻版『山のABC』(創文社刊)を求めるのがよい、版元の担当者相川さんに連絡しておくから、ということだったのだが、そのままになっている。串田先生すみません。
 悔やまれることがもうひとつある。昨年夏斜里町の『北のアルプ美術館』に串田孫一のエスプリを訪ね、館長山崎猛さんのご好意でここに泊めていただいた。が、わが筆不精のせいで串田さんに報告せぬままになったのだ。すみません。
(札幌タイムス・2005年10月13日(木)掲載)

*慶応義塾大学、北海道大学、酪農学園大学などでドイツ語、フランス語、永井荷風日記などを講じ、現在フリー。家はあるが一所不在、風のように暮らしている。生年不詳。 

 美術館の白樺林の小径




闇に厭きた風

ライクンナイにて 彫刻家 二部 黎

 串田孫一氏には珍しく、ずい分鋭い調子で言い切られた四十八の短文からなる随想がある。タイトルは「闇に厭きた風」。 ・・・世に出るのを好まず、闇の中ひとり吹いていた風は、やむにやまれず明るみに出て人の目に触れんとした・・の意であろうか? 

 五十才で大学教授の職を退き著作に専念した氏は、雑誌「アルプ」を創刊、多くの読書人に影響を与え続けた文人である。山崎猛氏は若き日、串田氏の書物に深く魅かれたおひとり。「アルプ」から受け取ったエネルギーは小さな北の町にしっかりと実を結んでいる。その名もまさに「北のアルプ美術館」として・・・。
「闇に厭きた風」の中に次の一文がある。

 やっと燃えついた細い枝から、頼りない炎が揺れている。もうこれ以上、この火に手を貸してはならない。この炎は、その横に斜めに重なっている太い薪から、頻りに別の炎を誘い出そうとしている。手の指先に並んでいる痛む皸を見詰めている間は時間がない。そして再び暖炉の小窓から覗くと、炎は遂に太い薪から炎を誘い出すことに成功して、炉の中の空気の渦を咀嚼している。木々の寂しい呻吟が明るく弾む歌へと転換する。
(季刊 「銀花」 第百二号 串田孫一の世界 より)

この一文は、私を二十数年前の札幌西区の山中にまで連れもどす。五メートルを越える穴窯を三人が泊りこんで焚いていた。二昼夜火を絶やさず燃やし続けるのだ。はじめが一番肝心。二本の長い割木を並べ、各々が互いの炎を誘うように同じ火力を保たせて燃やす。これが、あぶり。数時間続けるのだ。頭領格のS氏がたくみに炎を調整しながら教えてくれた。「窯焚きというのは作品を焚くのではない。窯を焚くのだ。窯が焚かれて最後に作品が焼きあがる。人も同じだよ。互いに互いの暖かいところを誘い出し合う。上手くあぶりがいかなければ心が壊れてしまう。心が結ばれるのは結果なのだ。」

 串田氏の随想が、鋭い調子で愚かな私に警告を発しても押しつけにならないのは、文章の底に暖かみがあるからだろう。読み人自からの想いが、二本の木の片方のように、串田氏のことばによって、炎のように誘い出されてくるからだろう。
「闇に厭きた風」冒頭に次の言葉が書かれている。悦び合う生命は常に無言である。


  
串田先生 

北のアルプ美術館 館長 山崎 猛

 私が生きる喜びを知ったのはいつ頃だったのかを、新緑が眩しい6月中旬の午後、記憶を辿りながら振り返った。私は昭和12年12月に生まれた。

串田先生の初版本「乖離」−或は名宛のない手紙 泰文堂発行も昭和12年12月である。その頃、串田先生は初見清一と云うペンネームを使っていた。自分で働いたお金で初めて串田先生の著書を買ったのは「若き日の山」だった。知床の自然に目覚めさせてくれた一冊である。また、知床の自然に導かれ、写真を撮るためのバイブルともなった本であった。

それは、私の人生を大きく変えることとなった雑誌「アルプ」に出会う2年前のことである。
成人式を終え、丁稚奉公の月日も終え、初めて里帰りを許され、斜里の町に戻ってきた日に、私の運命を変えた「アルプ」の創刊号を手にした。

 知床の繰り返される自然の営み、その懐にしっかりと抱かれ今年、69歳を迎える。「アルプ」に出会い49年。「北のアルプ美術館」開館14周年を、小雨に濡れた新緑が見守っている。私の生まれた年月と、串田先生の初出版が同じであったことの偶然を、自分だけの宝物として心に秘めている。

 緑がその深さを増す頃、串田先生の一周忌が近づいてくる。



「次世代のアルプ」

 

  

画家 富沢裕子
            
アンデスの風と石が運んだもの
竹久野生・画文集 三修社

 アンデス山脈の北端に位置するコロンビアの首都はボゴタです。正式には、サンタ・フェボゴタといい、標高二六〇〇メートルの高地に広がる大都会です。私がこの土地を訪れたのは、山と旅を友とし、絵と詩文を繊細な感性で紡ぎ出した自由人辻まことの娘さん竹久野生さんにお逢いするためでした。


 女史の著書「アンデスの風と石が運んだもの」に出逢ったのは、私が南米への旅に出立する少し前でした。それ以来三年間この本は私とともにアンデスの国々を旅をしました。本は手あかで黄ばんでいますが、表紙をめくると、「はるばるボゴタまで訪ねて下さった・・二〇〇二年・五月十一日 たけひさのぶ」とのサインがあります。

 その当時コロンビアでは、日本人商社マンが拉致されたり、反体制勢力がテロ活動を激化していてエクアドル国境付近には危険情報が出されていました。しかし、ボゴタに着いた時、抜けるような空と高原の爽やかな風、さっそく飲んだコロンビアコーヒーの味は格別でした。

 野生さんの家は街の中央を走るトロリーバスの最終駅を降りた田園の中にありました。待ち合わせのマーケットで始めてお会いした時、野生さんは、ピンクのカーネーションの花束をかかえていました。アトリエに案内され居間に入ると、そこには、伊藤野枝女史のセピア色の写真がかかっていました。野生さんは、その前に、カーネーションを生けました。
明治の新しい女性として活動した伊藤野枝女史は辻まこと氏のお母様ですから、野生さんのおばぁ様になるわけです。野生さんは、生後まもなく竹久夢二の次男不二彦氏の養女となり、北海道の日高の山の中で育ちました。
「水色の紅茶ポットと唐がらし」「おじいさんの宝物」など幼少時代の想い出でつづられたエッセイは、美しく、ちょっぴり悲しい物語です。実父辻まこと氏にふれている所は少々ですが、スペインの詩人ロルカと並べ一作家として冷静な評価をしています。二階のアトリエの中には、野生さんの魔法の道具がちらばっていました。布切れ、板くず、くぎや、石ころ、これらのものがおしゃべりを始めるまで、野生さんは耳を澄ましているのだと語ってくれました。
異国での30年間、淋しくありませんか、との私の愚問に、野生さんは「日高の山の経験があるから、ちっとも」とステキな笑顔でこたえてくれました。

 最後に(アルプにもある)哲学者矢内原伊作氏のこの本に対する評を記します。
竹久野生は太陽と風の娘だ。地球のむこうがわ、南米コロンビアの高燥の地の、インデイオとスペインの混血の人の住む町に住み、夢や苦痛や、愛が滲みこんでいるその街の庶民の壁の色を採集し、その古い窓をアンデスの青空に刻印して、太陽に灼かれ、風に吹かれる生活の色彩の歌を、われわれのところに搬んできた。

 



  駆けあがる緑の中で思うこと
  

 
広野 行男

 朝昼夜でもう変わって見える芽吹きの勢いに、たちまち置いていかれそうです。

屈斜路湖と摩周湖の二つの湖を囲う外輪山に隔てられた斜里岳が、いよいよ黒々としてきました。このカルデラのあちこちから、斜里岳を眺めることが習慣となっています。特に、この地が誇るイソツツジの大群落の奥に据わる、山襞の陰影たずさえたその姿は、アルプの表紙を連想する絵に映ります。

 昨年からこの土地に住むようになり、北のアルプ美術館に出会う幸運に恵まれました。幾度か訪問するたびに初心のような気持ちを味わっては、目にする周りの山の存在を確かめながら毎日を過ごしています。この美術館は、実際の山行の前後、下界で過ごす日々の中にも山へのもう一つの接近の仕方があること、山の体験からひとりでに結ばれてくる思わぬ果実があること、また、山の世界におさまらないあらゆる自然へ目を向ける面白さの本質をも伝えてくれるようです。そんなアルプの作品にふれると、次の日の朝を迎えるのが楽しみで仕方ありません。

外の空気や見慣れた風景に対し、再三初心をもって感じることの意味深さに気付かされます。

 美術館を訪れ作品にふれることは、そのこと自体喜びで大きな満足ですが、それだけにとどまらず、何かしらの実践行動が伴わなくてはいけないのではと、いつも身が引き締まるのを覚えます。受け取ったアルプの恩恵を、山や自然に向くときの自らの構えにどんな形であれ反映させたいと、思わずにはいられません。
 
 北のアルプ美術館は、私にとり、そのようなささやかな楽しみや小さな決意や挑戦を、長い目で、何時も見守っていてくれる存在です。山に始まり草原を通り海までつながる自然全体の物語を満載している芸術の遺産基地だと感じます。
この拠点をもとに、心身の山旅を通じたあらたな「憩い」の世界が、訪れる人個々の中に生まれていくのだと思います。    
環境省自然保護官


北のアルプ美術館HPブログ「アルプの散歩道」より

 

前庭の銀杏の木               斜里岳遠景




串田先生のクロッカス
  
 


アルプ関係図書案内



ここに号紹介させていただきました書籍のほか、北のアルプ美術館では関連する書籍をそろえております。詳しくはホームページ等でご覧ください。



■■山のABC T・U・V 尾崎・深田・串田・畦地・内田編
   AからZまで、山の詩と絵と写真と短文で展開する 豪華で
   お洒落な芸術作品      全三集セット・18000円
■■随筆集 夜空の琴 串田孫一
   夢の世界の訪問者、串田氏がつづる宇宙、星座そして地上
   のすべてに贈るメッセージ          2500円
■■山で一泊 辻まこと
   美しい絵と文章。辻まことの完成された世界がページをめく
   る毎に広がります。              3800円
■■山からの絵本 辻まこと
   山の自然、生き物そして人々を生き生きと描く美しい絵と文
   が素晴らしい構成の大人のための絵本  3200円
■■烟霞淡白 山口耀久
   山の心を、洗礼されたタッチで綴る山ユーモアと哀しさが漂
   う随想集四編。                 1000円
■■アルプ合本 全五巻
   雑誌「アルプ」の創刊号から5年間の合本。
   (T巻在庫なし) 他四巻     各一巻 8000円
■■アルプ特集号選 全八巻
   300号で終刊したアルプの特集号・増大号の合冊
   クロース装丁            各一巻 8000円

紹介させていただきました書籍はすべて創文社の発行です。
北のアルプ美術館で在庫がございます。ご希望の方はお問い合わせください。

一年間の出来事   季節の便り2005.6〜2006.5

2005年
 7月 8日 串田孫一氏(哲学者・アルプ編集責任者)死去(89歳)
 7月17日 知床が世界自然遺産に決定
 7月24日 彫刻家二部黎氏の「生命」4基白樺林の中に設置
 9月17日 アルプの夕べ 谷川俊太郎氏「詩の朗読会」
            「みみをすまして」を開催(ゆめホール知床)
 8月 6日 豊饒な草原に想いを馳せる「アルプ」作家・作品展開催   
10月24日 斜里岳初冠雪 

2006年
 2月27日 ウトロ・オンネベツ川に海鳥大量死骸発見
 5月 7日 知床横断道路開通


クルマユリ


ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)

広野孝男・国松俊英・山室眞二・安田一郎・外川宇八・大森久雄・宮川俊彦・堀多恵子・大谷一良・岡田麻子・田中良・鈴木伸介・関根正行・埋田晴夫・山田和弘・谷川俊太郎・田中清光・根来譲二・一原正明・阿部正恒・佐谷和彦・岡田 敦・小川隆史・三宅 修・尾崎栄子・唐沢久子・手塚宗求・荒賀憲雄・久保井理津男
・斜里町立知床博物館・白山書房・山と渓谷社・東京新聞出版局・北海道立北方民族博物館・創文社・北日本広告社北見営業所・ニュートンプレス・樹の森出版

◆◆◆その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。


 アルプ基金 -報告-   2005年6月2日〜2006年5月31日

         359.439円となっております。ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

  
  おしらせ

◆ 冬期間の閉館をお知らせします。 2006年12月18日(月) - 2007年2月28日(水)まで閉館をします。
ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。どうぞよろしくお願いいたします。

◆ 皆様にご好評をいただいております、北のアルプ美術館販売の絵ハガキは、一部種類で旧郵便番号(5桁)の印刷となっておりました。印刷し直しも検討いたしましたが、現在、7桁のシールを一枚一枚に貼って対応させていただいております。どうぞご了承ください。

   
編集後記 ■今年ほど天候を気にしながら、過ごした年があっただろうか、と思うほど不安な季節が続いていました。それでも季節は巡り、巡って緑風に心ときめく頃となりました。美術館との出会いから4年目になりました。たくさんの出会いに感謝しながら、この先、周りの環境が変化しても、心だけは変わらずにいたいと思います。アルプのように・・・(長谷川)
■串田孫一氏が亡くなられ、気持ちの中によりどころがなくなってしまったような心細さを感じました。でも、著書を開き、読み出して「変わらないもの」の確かさを感じました。美術館の中に、本に、そして心の中に宿る言葉は消えることのないメッセージを今も発信しているのだと思います。6月の緑風をお届けします。(桜井)
  
緑風-北のアルプ美術館たより No.14   2006年6月発行(年1回)

編集:山崎猛 長谷川美知子 大島千寿子       発行:北のアルプ美術館
印刷:(有)斜里印刷       デザイン・イラスト:桜井あけみ(アトリエ・ぽらりす)
〒099-4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11-2  TEL0152-23-4000/FAX23-4007
http://www.alp-museum.org    メールアドレス:mail@alp-museum.org

  

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