northern style スロウ vol.14  
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オホーツク、「北のアルプ美術館」にて

歌い継がれる自然賛歌



かつて、山を思索の場とした作家達が、
研ぎ澄まされた感性で自然への思いを綴った文芸誌があった。
昭和33年に創刊し、25年後に終刊を迎えるまで、
自然を愛する多くの読者を魅了した「アルプ」である。
その自然賛歌の世界を今に伝え、
そして後世に残さんとする美術館が、
世界自然遺産知床の入口、斜里町にあった。

(取材・文/熊田孝章 撮影/菅原正嗣)

 斜里町の住宅街の一画に佇む「北のアルプ美術館」。独特な色合いの板壁に、6本の煉瓦の煙突がアクセントになった造りが、どこかヨーロッパあたりの古い建築物を思わせる。西側の敷地には、白樺林がまるで風雪や日差しから美術館を護るようにして高く枝を伸ばしている。自然林のようにも見えるが、これは創設者であり、館長を務める山崎猛(たけし)さんが、美術館の開館に当たり植樹したものだそうだ。美術館の館内は8室の展示スペースに分けられ、それぞれに全300号のアルプをはじめ、書き手たちの直筆原稿や原画、写真などの貴重な資料が収められている。「自然に溶け込むようにこだわった外観が、アルプの雰囲気に合うって言われて」と、顔をほころばせる山崎さんは現在69歳。その奥深い眼差しでアルプの中に何を見出し、この美術館を通して何を語るのか。事業家、写真家の顔も持つ山崎さんに話を聞いた。


アルプ創刊号。落ち着いた風合いの表紙裏には、毎号ラテン詩や交響楽の一節が添えられていた。これから始まる誌上自然紀行に高揚感を与えてくれる。

 アルプは、昭和33年、東京の「創文社」が創刊した月刊誌。哲学者や詩人、写真家、版画家など個性豊かな執筆陣が綴る自然や山への思いを、上質の紙に山河の版画という味わい深いテイストの表紙で包んだ、独特な存在感を放つ文芸誌であった。高度経済成長が登山の大衆化に拍車をかける中で生まれた山の雑誌は他にもあったが、登攣(とうはん)記録や登山用具の紹介、コース案内などの実用記事を全て排し、広告も載せないアルプは、まったく異色の存在。A5版、平均70頁の中に、詩や随想、そして絵画やモノクロ写真など山への思索に満ちた作品ばかりを収めたそのスタイルを25年間、揺らぐことなくまっすぐに貫き通した。山を愛する熟年世代の多くが、今もアルプを懐かしみ、「美しく、気高い雑誌」と称する理由がそこにある。

  執筆陣には、責任編集を務めた哲学者の串田孫一(くしだまごいち)の他、詩人の尾崎喜八(おぎききはち)、版画家の畦地梅太郎(あぜちうめたろう)、日本100名山を著した深田久弥(ふかだきゅうや)など、山を愛した作家や芸術家が名を連ね、投稿者も含めるとその数は600名を超えた。ちなみに北海道からは画家の坂本直行(さかもとちょっこう)や詩人、更科源蔵(さらしなげんぞう)らが参加している。

 山崎さんが初めてアルプを手にしたのは、今から50年前、当時住み込みで働いていた斜里町の小さな書店でのことだった。生まれついての読書の虫で、道南の乙部(おとペ)町で生まれ育った山崎さんが、縁もゆかりもないこの町で暮らすことになったのも、本好きが高じてのことだった。「中学校を卒業し15歳で就職先を決める際、ほとんどの生徒は炭鉱を選ぶんですけど、僕は本屋を希望したんです。家が貧しかった僕にとって、本を読むことは一番の贅沢でしたから」。早朝から夜遅くまでの勤務に加え、正月以外に休みがない慌しい毎日の唯一の楽しみは、やはり読書だった。やがて、成人を迎えた山崎さんはアルプ創刊号を手に取り、「本」について抱いていたそれまでの価値観が逆転するほどの衝撃を受ける。「絵や写真を用いずに臨場感や情緒を表現する文章に、思い切り胸を打たれました。本を閉じ、目を瞑(つむ)ったら風景が鮮明に浮かび上がってくる。その描写力に心から憧れましたね」。時には、雪山を2日がかりで歩いて越え、ウトロの町まで50人分の教科書を背負って配達するなど、体中に自然の厳しさを叩き込まれた5年の歳月のうちに、読書が心の拠り所だった少年は、確固とした自然への畏敬の念を、心の中に育てていた。「アルプと出会ってから、僕は深く自然と向き合うようになり、価値観も生き方も変わったんです」。


作家たちから寄せられた直筆原稿が一枚一枚丁寧に、大切に仕舞い込まれていた。

何ともユーモラスな表情で諸手をあげて出迎えてくれた「さけぶ三人」は、畦地梅太郎の作品。

 やがて、山崎さんの心にアルプがどっしりと根を張った。休日のたびにカメラを手に山へ分け入り、写其を撮りためては、アルプの読後所感を添えて編集部へ送り続けた。ある日、思いもよらぬ朗報が山崎さんに届く。オホーツクの自然を捉えた山崎さんの写真が、アルプの誌面を飾ることになったのだ。「熱意に絆(ほだ)されたんじゃないかな。遠い地で暮らす、いち読者のね。でもそれがきっかけで、自然と芸術を通じ人間性を高めるというアルプの精神をより深く追求し、本格的に写真を極めたいと思うようになったんですよ」。昭和49年、29歳にして書店を退職し、事務機器販売の会社を創業した。商売は上手く軌道に乗り、経営者として無我夢中に働く一方で、写真を撮り続けた山崎さん。充実の一途を辿る30代を通して、アルプは、いよいよ山崎さんにとって不可欠な存在となった。

  しかし、昭和58年、300号を刊行したアルプは「山の芸術誌としての役割を果たし得た」と、その歴史に自ら幕を引いた。最大の理由は書き手の不足。創刊以来の書き手が一人また一人とこの世を去っていくなか、後を継ぐ若い作家が育ってこなかった背景には高度経済成長という時代性もあった。文明の名の下に自然破壊が進み、物質的な豊かさの裏で失われていく自然への礼賛、憧れ。

 「存続の為にスタイルを変え、時代に迎合した情報や広告を載せたなら、一貫していた志が失われる。終刊はある意味止むを得なかった」と、大事なものを失った悲しい記憶にしばし沈み込んだ後で、でも、と山崎さんは続けた。「人生の大半を共にし、支えてくれた存在を、何もせずに時代の波に埋もれさせるわけにはいかなかった。色々考えた末に、美術館という形での保存を決めたんです」。

  しかし、アルプ自体も作家の直筆原稿も、必要とする資料は全て財産、もしくは遺産である。そう簡単には集まらず、そもそもアルプの名前を冠すること自体が問題視されたそうだ。そこで山崎さんは、アルプヘの思いの丈を綴った手紙を串田氏へ宛てた。「私自身の売名行為ではなく、純粋にアルプの精神を残したいのです。物販もせず、入館料もいただきません」。地域の文化振興をも視野に入れた、私財を投じての事業計画を細微に渡り記した手紙は、串田氏の心を動かし、のちに膨大な量の資料や原稿が山崎さんの元に届いた。「串田先生が信用する人なら」と初めは半信半疑だった関係者からも続々と資料が寄せられるようになり、最終的には5万点を超えたという。

  ロケーションは「アルプと共に僕を育ててくれた土地で」と地元に絞り、幾つかの候補の中から、三井農林斜里事業所が社員寮に使っていた洋館に決めた。思い描いていた自然と共生する建物のイメージに合っていたし、バター製造など工場の操業を通して地域の酪農経済を潤し、斜里町発展の礎(いしずえ)となった歴史も残せたら、という思いもあった。より自然に溶け込むようにと、ピンクのモルタルだった外壁は板を貼り色付けし、庭には元の樹木に加え、自らの手で180本もの白樺を植えた。


アルプを通して自然を見守り続けてきた山崎さんの眼差しは深い。

オホーツクブルーに高く伸びた木々が映える。美術館の庭は野鳥の渡りの中継点。

2階の壁にアルプ全300号の表紙が並ぶ。
 

流氷を主題に知床の自然を力強く切り取った山崎さん渾身の写真集「氷海」。

小樽在住の彫刻家、鈴木吾郎氏作のブロンズ像がお出迎え。

2階のメイン展示室には、アルプの作家の原稿や原画が収められている。

 奇しくもアルプの名付け親である尾崎喜八の生誕百年目にあたる平成4年、9年にも及ぶ準備期間を経て、北のアルプ美術館が開館を迎えた。アルプ作家陣から寄せられた祝福の言葉たちは、今も美術館の道標であると同時に、山崎さんが初心に帰るための教えとなっていると言う。「その言葉を胸に、作品を通していかに作家のものの考え方や、自然に寄り添った生き方を伝えられるかを突き詰めてきたし、アルプの墓場にだけはしないように、といつも考えています」。昨年、山崎さんは事務機販売会社の経営からは引退した。「この複雑な時代に、アルプを普遍的な価値観として語り継ぐために、今年からまた新たなスタートですね」。その口調からは、心ゆくまでアルプと向き合える喜びが、静かに伝わってきた。

 アルプの終刊号にて串田氏は、自然破壊と機械文明がもたらす人間の心のゆがみに対して、文学や芸術がいかに無力であったかを、痛恨の念を込めて語った。そして、9年の時を経て迎えた北のアルプ美術館の開館に際しては、「そして北海道の斜里の、この美術館のあるところから、病める地球が見事に癒されて行く爽かな緑が、先ず人々の心に蘇り、ひろがって行くことを願っている」との言葉を寄せている。一度は失われたアルプが志した自然賛歌の精神を、美術館の存在を通して人々が心に取り戻すように。山崎さん日く、このメッセージこそ、北のアルプ美術館の存在理由。そして、もしかすると自身の生きる理由をも重ね合わせているのかもしれない。最近はアルプの読者ばかりではなく、旅の途中で立ち寄ったという若い世代の訪問客も多いという。アルプの精神を引き継ぎ、新しい世代へ伝えたい。山崎さんの願いは、確かに実を結び始めている。

シャープで格調高い表紙は編集の内容同様、25年間同じスタイルを貫き通し、アルプを特徴付けた。

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