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●開催期間● 2002.9.18〜2003.6.1 北のアルプ美術館 |
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私が曽宮一念と云う名前を知ったのは、昭和33年3月発刊の『アルプ』の創刊号の誌上であった。オホーツク海には例年のように流氷が接岸していて、私は成人式を終え、2ヶ月が過ぎていた。 2002 ・「白露」の頃 山崎 猛 |
年号
(西暦) |
年齢 |
事 項 |
明治26年 (1893) |
0 |
9月9日東京市日本橋区濱町(中央区日本橋浜町)に生まれる。 父は下田喜平、母はきみ、本名は喜七。 |
明治27年 (1894) |
1 |
曽宮禄佑の養子になる。 |
明治39年 (1906) |
13 |
淀橋小学校を卒業。私立早稲田中学入学。 |
明治42年 (1909) |
16 |
四谷区南伊賀町(新宿区若葉)に移る。 |
明治43年 (1910) |
17 |
静岡県富士郡大宮町(富士宮市)に同級生岡田清を訪ねる。 |
明治44年 (1911) |
18 |
早稲田中学卒業。東京美術学校西洋画科予備科入学。同級生に耳野卯三郎、鈴木保徳、寺内萬治郎らがいる。 |
大正2年 (1913) |
20 |
美術学校で藤島武二の指導を受ける。 |
大正9年 (1920) |
27 |
豊多摩郡落合村下落合の借家に入る。 |
大正12年 (1923) |
30 |
第10回二科展「夕日の路」出品。入選。 |
大正14年 (1925) |
32 |
第12回二科展「冬日」「荒園」「晩秋風景」出品。「冬日」で 樗牛賞受賞。 |
昭和12年 (1937) |
44 |
独立美術協会を退会。国画会入会、会員となる。 |
昭和17年 (1942) |
49 |
奈良、京都、松江へ旅行。藤島武二を訪ねる。 素描集「すその」を春鳥会より出版。 |
昭和18年 (1943) |
50 |
随筆集「夕ばえ」求龍堂から刊行。安井曽太郎より東京美術学校勤務を要請されたが辞退。1月、長女夕見誕生。 |
昭和20年 (1945) |
52 |
富士宮市滝戸(富士宮市黒田)に移ったのち、同市泉(泉町)に移る。 |
昭和21年 (1946) |
53 |
日展審査員として第2回日展に「麦」出品。 |
昭和23年 (1948) |
55 |
随筆集「裾野」四季書房より刊行。 |
昭和27年 (1952) |
59 |
随筆集「袖の中の蜘蛛」四季社より刊行。御前崎、伊東を旅行。 |
昭和30年 ( 1955) |
62 |
随筆集「榛の畦みち」四季社より刊行。鹿児島へ旅行。 |
昭和31年 (1956) |
63 |
桜島爆発。九州取材旅行。 |
昭和33年 (1958) |
65 |
「アルプ」創刊 5月23日〜6月27日、北海道へ旅行。 随筆集「浜辺の熔岩」創文社より刊行。同随筆が第7回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。 |
昭和34年 (1959) |
66 |
緑内障により右目失明。 |
昭和37年 (1962) |
69 |
随筆集「日曜随筆家」創文社より刊行。串田孫一と上高地へ旅行。 |
昭和39年 (1964) |
71 |
随筆集「泥鰌のわた」創文社より刊行。 |
昭和42年 (1967) |
74 |
随筆集「東京回顧」創文社より刊行。彫刻家雨田光平夫妻とともにヨーロッパ旅行。 |
昭和43年 (1968) |
75 |
随筆集「紅と灰色」木耳社より刊行。 |
昭和44年 (1969) |
76 |
画集「紅と灰色」木耳社より刊行。 |
昭和45年 (1970) |
77 |
画集「火の山」木耳社より刊行。 文芸春秋画廊で素描と淡彩画展。 |
昭和46年 (1971) |
78 |
両眼失明を理由に画家廃業。 |
昭和47年 (1972) |
79 |
随筆集「白樺の杖」木耳社より刊行。 |
昭和48年 (1973) |
80 |
書画集「夕ぐも」木耳社より刊行。文芸春秋画廊で書画展。 |
昭和49年 (1974) |
81 |
浜松市美術館にて「曽宮一念の画業展」開催。 随筆集「みどりからかぜへ」求龍堂より刊行。 |
昭和50年 (1975) |
82 |
随筆集「砂上の絵」蝸牛社より刊行。 |
昭和52年 (1977) |
84 |
詩画集「風紋」五月書房より刊行。大岡信と知り合う。 |
昭和53年 (1978) |
85 |
常葉美術館にて「曽宮一念展」開催。(静岡県) |
昭和55年 (1980) |
87 |
随筆集「夏山急雨」創文社から刊行。 NHKテレビ「女性手帳」に出演。 |
昭和58年 (1983) |
90 |
「アルプ」300号で終刊。 歌集「へなぶり火の山」文京書房より刊行。 |
昭和60年 (1985) |
92 |
随筆集「武蔵野挽歌」文京書房より刊行。 アルプ関係の美術館構想浮上。開館準備、作品、資料収集開始。 |
昭和61年 1986) |
93 |
建設予定地決定。斜里町朝日町11-2(現在地) |
昭和64年 平成元年 (1989) |
96 |
大沢健一著「火の山巡礼」木耳社より刊行。 随筆集「にせ家常茶飯」木耳社より刊行。 |
平成2年 (1990) |
97 |
1月、北のアルプ美術館として名前が決定。 本格的に作業開始。開館準備室設置。 準備室長平野安雄、準備室補藤谷暁代。 |
平成3年 (1991) |
98 |
2月、兜屋画廊で未公開の水彩・書展。 |
平成4年 (1992) |
99 |
1月、随筆集「画家は廃業」を静岡新聞社より出版する。 画文集「九十九の店じまい」を木耳社より出版する。 北のアルプ美術館、6月13日開館。 |
平成6年 (1994) |
101 |
10月、NHKテレビ特集番組「曽宮一念へなぶりの日々」に出演。 12月21日、心不全のため死去。3日後、せつ夫人も急死。個人の遺志で葬儀・告別式は行わず。 |
平成7年 (1995) |
詩歌集「雲をよぶ」(朝日新聞社)、遺作歌集「へなぶり拾遺」(文京書房)、エッセイ「榛の畦道・海辺の熔岩」(講談社)。12月、曽宮一念「夕雲会」結成される。会長小山五郎氏(さくら銀行名誉会長) | |
平成14年 (2002) |
北のアルプ美術館、6月で10周年を迎える。 10周年記念事業「特別企画 曽宮一念展」 ー曽宮一念アルプに残した足跡− 開催。2002.9〜2003.6 |