開館10周年記念

 


木耳社 曽宮一念 火の山の巡礼より

 

●開催期間● 2002.9.18〜2003.6.1

北のアルプ美術館


        1. ごあいさつ
        2. 曽宮一念 略年譜と「アルプ」・北のアルプ美術館年表
        3. アルプ掲載年表
        4. 著述(単行本)
        5. 作品集(画集・書画集)

 

曽宮一念・アルプに残した足跡

 
ごあいさつ

 私が曽宮一念と云う名前を知ったのは、昭和33年3月発刊の『アルプ』の創刊号の誌上であった。オホーツク海には例年のように流氷が接岸していて、私は成人式を終え、2ヶ月が過ぎていた。
曽宮先生は65歳である。
  その時は、私はこの『アルプ』で人生を変えるなどとは思いもよらなかった。
  あれから45回の年輪がまわり、私も数ヶ月で65歳になろうとしている。
  曽宮先生が『アルプ』創刊号の最初に寄稿された年齢である。
  『アルプ』は昭和33年3月から昭和58年2月までの25年間に300号を発行して終刊となった。この300号の中で曽宮先生はスケッチ、淡彩、随想、油彩、詩などを 40 回『アルプ』の誌上を飾り、アルプの草原に流れる爽風になり、読者に感銘を与えてくれた。
  『アルプ』の終刊の時には曽宮先生は失明され、90歳になられておりましたが、強靭な精神力と、ご家族の計りしれない愛に支えられながらも、人生の本質を語りかけていた。
  この度の企画展では曽宮先生の全貌を伝えるのには『大河の一滴』にも満たないかも知れないが、此処、北のアルプ美術館で開催される事の意義が大きいのではないかと思われます。
  この曽宮一念展では『アルプ』に残した足跡として、1958年 5 月〜 6 月までの一ヶ月ほど北海道旅行をされております。その時の随想文とスケッチが『アルプ』7号に、『北海道の画帳から』と題して掲載されております。
  この行程を中心に、宿泊地、出会った人達との思い出を辿ることにいたしました。
  又、昭和33年から昭和46年頃(失明直前)まて、自宅から、旅先から、沢山の書簡と葉書を、創文社編集長大洞政典さん宛てに送られておられました。
  この貴重な資料等も展示いたします。曽宮先生の人となりを知る上で第一級のものと確信しております。
  同時に、当館が収集している直筆原稿、その他の文献著書なども公開いたします。
構想から計画、そして実現を切望しておりました大洞さんに喜んで戴ければと思っています。
  この特別企画展に際しては、長女曽宮夕見様のご協力、ご了解を戴き、多くの図録、著書文献等から引用させて戴きました。ご協力を戴きました皆様にも心からお礼を申し上げます。

2002 ・「白露」の頃 山崎 猛


 

 

曽宮一念 略年譜と『アルプ」・北のアルプ美術館年表
年号
(西暦)
年齢
事                  項
明治26年
(1893)
0
9月9日東京市日本橋区濱町(中央区日本橋浜町)に生まれる。
父は下田喜平、母はきみ、本名は喜七。
明治27年
(1894)
1
曽宮禄佑の養子になる。
明治39年
(1906)
13
淀橋小学校を卒業。私立早稲田中学入学。
明治42年
(1909)
16
四谷区南伊賀町(新宿区若葉)に移る。
明治43年
(1910)
17
静岡県富士郡大宮町(富士宮市)に同級生岡田清を訪ねる。
明治44年
(1911)
18
早稲田中学卒業。東京美術学校西洋画科予備科入学。同級生に耳野卯三郎、鈴木保徳、寺内萬治郎らがいる。
大正2年
(1913)
20
美術学校で藤島武二の指導を受ける。
大正9年
(1920)
27
豊多摩郡落合村下落合の借家に入る。
大正12年
(1923)
30
第10回二科展「夕日の路」出品。入選。
大正14年
(1925)
32
第12回二科展「冬日」「荒園」「晩秋風景」出品。「冬日」で 樗牛賞受賞。
昭和12年
(1937)
44
独立美術協会を退会。国画会入会、会員となる。
昭和17年
(1942)
49
奈良、京都、松江へ旅行。藤島武二を訪ねる。
素描集「すその」を春鳥会より出版。
昭和18年
(1943)
50
随筆集「夕ばえ」求龍堂から刊行。安井曽太郎より東京美術学校勤務を要請されたが辞退。1月、長女夕見誕生。
昭和20年
(1945)
52
富士宮市滝戸(富士宮市黒田)に移ったのち、同市泉(泉町)に移る。
昭和21年
(1946)
53
日展審査員として第2回日展に「麦」出品。
昭和23年
(1948)
55
随筆集「裾野」四季書房より刊行。
昭和27年
(1952)
59
随筆集「袖の中の蜘蛛」四季社より刊行。御前崎、伊東を旅行。
昭和30年
( 1955)
62
随筆集「榛の畦みち」四季社より刊行。鹿児島へ旅行。
昭和31年
(1956)
63
桜島爆発。九州取材旅行。
昭和33年
(1958)
65
「アルプ」創刊
5月23日〜6月27日、北海道へ旅行。
随筆集「浜辺の熔岩」創文社より刊行。同随筆が第7回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
昭和34年
(1959)
66
緑内障により右目失明。
昭和37年
(1962)
69
随筆集「日曜随筆家」創文社より刊行。串田孫一と上高地へ旅行。
昭和39年
(1964)
71
随筆集「泥鰌のわた」創文社より刊行。
昭和42年
(1967)
74
随筆集「東京回顧」創文社より刊行。彫刻家雨田光平夫妻とともにヨーロッパ旅行。
昭和43年
(1968)
75
随筆集「紅と灰色」木耳社より刊行。
昭和44年
(1969)
76
画集「紅と灰色」木耳社より刊行。
昭和45年
(1970)
77
画集「火の山」木耳社より刊行。
文芸春秋画廊で素描と淡彩画展。
昭和46年
(1971)
78
両眼失明を理由に画家廃業。
昭和47年
(1972)
79
随筆集「白樺の杖」木耳社より刊行。
昭和48年
(1973)
80
書画集「夕ぐも」木耳社より刊行。文芸春秋画廊で書画展。
昭和49年
(1974)
81
浜松市美術館にて「曽宮一念の画業展」開催。
随筆集「みどりからかぜへ」求龍堂より刊行。
昭和50年
(1975)
82
随筆集「砂上の絵」蝸牛社より刊行。
昭和52年
(1977)
84
詩画集「風紋」五月書房より刊行。大岡信と知り合う。
昭和53年
(1978)
85
常葉美術館にて「曽宮一念展」開催。(静岡県)
昭和55年
(1980)
87
随筆集「夏山急雨」創文社から刊行。
NHKテレビ「女性手帳」に出演。
昭和58年
(1983)
90
「アルプ」300号で終刊。
歌集「へなぶり火の山」文京書房より刊行。
昭和60年
(1985)
92
随筆集「武蔵野挽歌」文京書房より刊行。
アルプ関係の美術館構想浮上。開館準備、作品、資料収集開始。
昭和61年
1986)
93
建設予定地決定。斜里町朝日町11-2(現在地)
昭和64年
平成元年
(1989)
96
大沢健一著「火の山巡礼」木耳社より刊行。
随筆集「にせ家常茶飯」木耳社より刊行。
平成2年
(1990)
97
1月、北のアルプ美術館として名前が決定。
本格的に作業開始。開館準備室設置。
準備室長平野安雄、準備室補藤谷暁代。
平成3年
(1991)
98
2月、兜屋画廊で未公開の水彩・書展。
平成4年
(1992)
99
1月、随筆集「画家は廃業」を静岡新聞社より出版する。
画文集「九十九の店じまい」を木耳社より出版する。
北のアルプ美術館、6月13日開館。
平成6年
(1994)
101
10月、NHKテレビ特集番組「曽宮一念へなぶりの日々」に出演。
12月21日、心不全のため死去。3日後、せつ夫人も急死。個人の遺志で葬儀・告別式は行わず。
平成7年
(1995)
 
詩歌集「雲をよぶ」(朝日新聞社)、遺作歌集「へなぶり拾遺」(文京書房)、エッセイ「榛の畦道・海辺の熔岩」(講談社)。12月、曽宮一念「夕雲会」結成される。会長小山五郎氏(さくら銀行名誉会長)
平成14年
(2002)
 
北のアルプ美術館、6月で10周年を迎える。
10周年記念事業「特別企画 曽宮一念展」
ー曽宮一念アルプに残した足跡− 開催。2002.9〜2003.6

 
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