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北のアルプ美術館企画展
大谷一良作品1
大谷一良の仕事展
版画と作品
2003年6月13日〜2004年5月30日

大谷一良作品2





大谷一良作品3




「アルプ」とともに   大谷一良
 
 山の月刊誌「アルプ」が創刊されたとき、私は25歳前で、終刊号である300号が324頁の立派な形で出たときは50歳になる前であった。
 自分の生きてきた時間の曖昧な期間のことを、後になっていろいろと意味あるように言ってみるのは嫌味なことだが、25年というのをそこに重ね合わせてみると、 「アルプ」と一緒に過ごした歳月の重みが自然に見えてくる。これも年齢の所為か。

アルプ創刊号表紙1958年3月

アルプ創刊号表紙1958・3
大谷一良氏近景

大谷一良氏 近景
アルプ300号表紙1983年2月

アルプ300号表紙1983・2

 東京外語大学の山岳部に入って、串田孫一さんと出会ったことが契機となったのはいうまでもないが、一人のひととの出会いが、或る若者にとって後の行き方を学ぶ機会になるというのは滅多に無いことかも知れない。己のことであるから他人に如何ようにも説明しようがないがそういうことは起こるのである。
 「アルプ」の25年が無かったら、私が木版画を一生の仕事と決めることなど思いも寄らなかっただろう。もちろん、その前から山登りという心を刺す世界はあった。その二つが一緒になって、次々に私の眼を開いて呉れた。「アルプ」を通して多くの素晴らしい人たちに出会うことが出来た。

大谷一良作品4
大谷一良作品5
大谷一良作品6

 「北のアルプ美術館」の山崎猛さんも経緯こそ異なれ、「アルプ」によって、若い頃に沢山の生きる力を貰ったという。
 その山崎さんと或るときに知り合ってからもう25年を越えている。全く異なった処を歩いてきた二人が、「アルプ」を通じて同じ道で或るとき行き逢った。「アルプ」の美術館を創るという途方もない夢が実現して既に11年になる。その山崎さんの気持ちに、少しでも寄り添いたいと願うのは、「アルプ」の道を歩んで来た者の自然な思いでもあるだろう。




大谷一良作品7 大谷一良作品8 野の花は生きるために咲いているが、
人はときにそれを自分のものにしようとする。
希少な花は昔から人を狂気に駆り立てることもあった。
野の花が好きだという人は多いが、
そのような人とふたりになったとき、
次の言葉を促す質問が、私には中々うまく出来ない。
大谷一良作品9



大谷一良作品10 大谷一良作品11
深まるにつれて秋の色は少しずつ下に降りてくる
夏の名残が失せて
葉が黄や赤に染まると
樹木は祝福の時を迎えるように ひととき
華やいだ顔に変わる

風のない静寂の中で
ひそかに宴が始まる
過ぎてゆく季節に別れを告げるときー
葉は音も無く枝から離れて大地の冷たさに触れ
分かれた樹々を見上げた後
覚めることのない眠りにつく
大谷一良作品12





藝術に浸る
                                    串田孫一
 大谷さんがどういう人物であるかを説明する必要は全くない。
直接會って話をしたことがなくとも、彼が創って来た諸作品を所有し、それと向かい合って自分の生命を静かに踊らせている人は、驚くほど多い。
 大都会のごたごたした畫廊でも、うっかりすると息をとめて、氣に入った作品の前から離れられなくなった人はいるが、此處は北海道の斜里。しかもその開催の期間が約一年間。すっかり氣にいってしまった方は、夏に冬に、秋に春にと、幾ら欲張って出掛けても結構。
 うっかり息を詰めて、苦しみのような氣分になれば、大海へと壙がる海邊の小徑を歩いて、これまでにない自分の心の中の歌を聴くのもよいであろう。或いは再び會場へと戻って、人間の心に巧みに語り掛ける術を心得ている山崎猛さんと、快い笑談を楽しむのも嬉しい時間であろう。
大谷一良作品13





大谷一良  略歴

1933年東京生まれ
57年東京外国語大学スペイン語科卒業。総合商社の勤めを終え、96年よりフリーの版画家。
この間、畦地梅太郎氏に私淑。
「アルプ」をはじめ「まいんべるく」「山と渓谷」「心」「岳人」などに表紙画やカット、文章を発表。
80年代から個展や共同展を毎年のように開催。著書に「山のかけら」「山の絵葉書」「風のディヴェルティメント」など、共著に「山のABC」「忘れ得ぬ山」など多数。
山岳関連書の装丁・装画も数多く手がけている。

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