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アルプの語源について

(山のABCより・尾崎喜八)

 英米語ではalp,フランス語ではalpe(女性),ドイツ語ではAIpe(女性)、 いずれも本来の語義はスイスの高山山腹の夏季放牧場である。日本ではこれを 名乗る月刊雑誌が東京から出ていて、山を中心主題とした文学・芸術を通じて 山岳や自然一般にたいする愛と理解と美の認識とを深め、それによって人間の 品位と教養とを高めることを目的としている。

 アルプやアルペが女性名詞だということは、理由はどうであれ、それなりに 楽しい。アルプは男らしい高潔な岩壁や残雪にかがやく山頂という父を眼前に、 その豊かな胸やふところに色さまぎまな高山の花を咲かせたり、ハープのよう に小川を歌わせたりしている母である。またそれが羊からも牛たちからも遠いかなたに高所の純潔を保っていると、あまりのういういしさに近づくことの憚 かられる天上の少女のように見える。

 こういうアルプを、しかしその画のような牧人小屋やチーズ製造小屋と一緒に、われわれは日本の何処に見いだす事ができるだろうか。似たような風景が まったく無くはないにしても、そういう美の根源をなし背景をなしている長い歴史も風習の伝統も持たないわれわれの国では、いくらかの詩的な連想や想像による牧歌的な修飾をあたえないかぎり、在るがままでは何か釈然としないもの、渾然としないものが感じられる。

 しかしまた考えてみれば、体験と知識とによってよく成熟した山好きの人の 心は詩人のそれであり、その目は画家の目である。彼は、彼女は、自分自身の 国に見いだした高地草原や放牧場にスイスのそれを投影して、そこに思慕と郷愁のアルプを形づくる事ができるかも知れない。そこにアルペングリューエン (アルプスの朝焼け・夕映え)の荘麗を見、クーグロッケン(牝午の鈴〉の悠久のしらべを聴くかも知れない。まことに“山の詩と真実“はこのような境地にあるのであり、心の歌と草吹く風の歌とが太陽や雲の下で美しい諧和をなすこ と、アルプでの憩いの時に及ぶものは無いのである。

 ベートーヴェンのピアノソナタOp.28は、“月光”と呼ばれる嵐のような終楽 章を持つソナタにすぐ続く作品であるが、“田園”という別名にふさわしくその自然との融合感情の珠玉のような質によって私にアルプと其処での憩いを思わせる。照りそそぐ純潔な日光、ふるえる大気、かぐわしい花の香と蜂の羽音… あらゆる欲望がなだめられ、奮闘の思い出もプシシェの蝶となって、はるか天空の深みに消えて行くかと思われる。(尾崎)

   
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